蘇我氏の正体② 捏造された逆臣の真の姿とは?(佐藤達矢 稿)

佐藤達矢稿

蘇我氏の正体② 捏造された逆臣の真の姿とは?

蘇我氏イコール逆臣。天下を簒奪しようとした大悪人たち、というイメージが古事記や日本書紀によって作られてしまっていますが、いろいろ調べて行くと真実は真逆で、蘇我氏こそは日本古代史上、日本という国の繫栄に最大級の貢献をなした名族と言っても良いくらいの存在ではなかったかと思えてきます。
蘇我氏の果たした業績を並べてみましょう。

① 日本に仏教を根付かせ、世界有数の仏教国となる礎を築いた。
② 天皇中心の集権体制を作り、統一国家としての基盤を確立した。
③ 冠位十二階、十七条憲法を制定し、法治国家としての体制を確立した。
④ 遣隋使の派遣など、周辺国との交流を活発に行い、貿易によって巨万の富を築き、
国の経済、文化の発展に貢献した。
⑤ 天皇記、国記等、我が国で最初の歴史書を編纂した。

・・・いかがでしょうか? 非の打ち所がない、比類すべき存在さえない素晴らしい行跡です。冷静に見ますと、蘇我氏ほど素晴らしい業績を残した氏族はいません。
なお、③については一般的に聖徳太子の業績として認識されていますが、その聖徳太子もまた蘇我氏の一族であり、蘇我馬子らとともに行ったものですから、蘇我氏の業績と認識を置き換えてもなんら問題はありません。

また、一部には「聖徳太子は存在しなかった」という説もあります。
もし、この説を信じるなら、聖徳太子の業績とされるものは実はすべて蘇我馬子や蝦夷、入鹿あたりの行ったこととなります。
これは一見、かなり突飛な説のように映りますが、聖徳太子の実在性については疑問を呈する説も多くあり、その可能性も頭に入れておく必要があります。

では、なぜこれほど素晴らしい業績を残した蘇我氏が悪者に仕立て上げられたかというと、これにはよく知られている明確な理由があります。
蘇我氏を悪人として描いているのは古事記、日本書紀ですが、この二つの書物を編纂するよう命じ、監督したのは藤原不比等でした。
不比等の父親は藤原鎌足。乙巳の変で蘇我入鹿を謀殺した張本人です。

前回見ましたように、乙巳の変そのものがクーデターであり、時の権力者を殺して自分たちがのし上がろうとした下剋上行為です。しかしながら不比等は父親のことを悪く書くわけには行かず、被害者である蘇我入鹿の悪行をいろいろと捏造し、父・鎌足があたかも正義の味方であるかのような粉飾を行いました。このことはほぼ間違いないと思われるのですが、まだ歴史の教科書がそのように書き換えられるまでには至っていないようです。

聖徳太子という存在もまた、蘇我馬子や蝦夷、入鹿の行った輝かしい業績を隠すために記紀のよって作られた存在であり、良いことはすべて聖徳太子が行ったことにして、その名誉を蘇我氏から引きはがそうとしたものかもしれません。

では、記紀に記された「蘇我氏の悪行」とはどんなものであったのか?ということを見て行きましょう。日本書紀によりますと、蘇我氏は、

① 由緒正しい場所に祖先の廟を建て、天皇家にしか許されない舞を行った。
② 自分たちの墓を大規模に作り、多くの民衆を労役に使った。
③ その墓を「陵(天皇家にしか許されない呼称)」と呼ばせた。
④ 自分の家を「宮中」と呼ばせ、子供を「皇子」と呼ばせた。
等々、記されております。

・・・さて、どうでしょうか?・・・いずれも子細な出来事であり、また、なんの証拠も残っていないものばかりです。そして、かりにこれらのことが全部事実だったとしても、誅殺の対象になるような大悪事とは言えないでしょう。せいぜい、不敬罪で罰金、という程度のものではないでしょうか?

それどころか、たとえば②の、蘇我氏の墓の造営ということに関しては、馬子の墓と言われる石舞台(これにも異説あり)あたりが最大のもので、蝦夷や入鹿の墓はさらにずっと小さく作られており、時の権力者の墓としてはむしろずっと質素と言っても良いくらいのもので、これを非難することは理由なき中傷と言わざるを得ません。

蘇我氏が数代にわたり、心血を注いで建設してきた法隆寺や四天王寺等の大伽藍に比べますと、その墓は実に小さなものなのです。
しかも、蘇我氏はそれらの仏教施設に関しては、国費を使わずに資材を投じて建立していたような形跡があるのです・・・。

また、前回も書きましたが、蘇我氏には天皇位を簒奪する理由がありません。
数代にわたって歴代天皇の妻として自らの娘を送り込み、天皇家の外戚として確固たる地位を確立し、すでに天皇をも上回るほどの権力を手中にしていた蘇我氏には、自分たちの身内である天皇家をなきものにする理由などまったくなかったのです。

このあたり、日本書紀の説明は極めて作為的かつ詭弁的であり、調べれば調べるほど情報操作・捏造の匂いが濃くなって行きます。
そして、驚くべきことに、聖徳太子だけでなく、蘇我馬子、蝦夷、入鹿ら、蘇我氏の歴代当主たちのほぼ全員が捏造された存在であるという指摘もあるのです。
これは斉木雲州氏が「上宮太子と法隆寺」(大元出版:2020年)という本の中で指摘していることですが、斉木氏の解説はきわめて具体的で詳細を極めており、それなのに歴史的な齟齬がまったく見られない完璧な仮説と言えるもので、少なくとも古事記や日本書紀よりははるかに信頼がおけるものです。

この仮説をじっくり検証して行きますと、古事記・日本書紀に描かれた、藤原氏による大掛かりな歴史捏造が浮かび上がってきます。
前回、乙巳の変についての新解釈をご紹介しましたが、斉木氏はその乙巳の変さえも「ありもしなかった架空の話」としています。

このように、蘇我氏については、これまでに教科書で学んできた歴史をいったん白紙に戻し、正しい歴史に書き替える必要があります。
次回は歴代蘇我氏当主の一人一人について、その実像を検証して行きます。

(写真は蘇我氏の居宅があったとされる甘樫丘から見る飛鳥地方の風景)。

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