佐藤達矢稿

佐藤達矢稿

蘇我氏の正体⑥ 乙巳の変は起こっていなかった(佐藤達矢 稿)

蘇我氏の正体⑥ 乙巳の変は起こっていなかった藤原鎌足と中大兄皇子が蘇我入鹿を誅殺したとされる乙巳の変。この政変が実はまったくの虚構であり、日本書紀の作者が創作した架空の物語だったとしたら・・・。以前、乙巳の変についての投稿をしたとき、大須賀...
上野俊一稿

安曇(あずみ)の館にて

「ふーっ、疲れた」 角鹿から戻ったアズミの連むらじは和白わじろの館に着くと、汗と塩砂を拭って大の字になった。「お帰りなさい。オキナガの大将どうでした? 怒ってました?」 伊都からイトテの頭領の息子ワカが、風を学びに来ている。「まあね。鉄はこ...
佐藤達矢稿

蘇我氏の正体⑤ 蘇我家歴代当主の名前はすべて本名ではない(佐藤達矢 稿)

蘇我氏の正体⑤ 蘇我家歴代当主の名前はすべて本名ではない蘇我氏初代と思われる蘇我石川宿禰から、満智、韓子、高麗、稲目、馬子、蝦夷、入鹿と続く当主たちの名前。これらはすべて本名ではなく、記紀によって作られた名前であるとしたら、皆様は非常に驚か...
佐藤達矢稿

蘇我氏の正体④ 武内宿禰から蘇我稲目までの系譜(佐藤達矢 稿)

蘇我氏の正体④ 武内宿禰から蘇我稲目までの系譜武内宿禰の子供たちは様々な氏族に分かれ、それぞれが別な一派となって行きます。これはもしかしたら、父親は武内宿禰一人でも、母親はすべて違っていたのではないか?とも思えます。古代には貴人ほど複数の妻...
佐藤達矢稿

蘇我氏の正体③ 蘇我氏という氏族はどのようにして生まれたのか?(佐藤達矢 稿)

蘇我氏の正体③ 蘇我氏という氏族はどのようにして生まれたのか?蘇我氏というと、どことなく渡来人のようなイメージがありますが、その家系を遡って行くと武内宿禰にたどりつき、武内家から分家した一族であることがわかります。つまり、蘇我家は日本で誕生...
佐藤達矢稿

蘇我氏の正体② 捏造された逆臣の真の姿とは?(佐藤達矢 稿)

蘇我氏の正体② 捏造された逆臣の真の姿とは?蘇我氏イコール逆臣。天下を簒奪しようとした大悪人たち、というイメージが古事記や日本書紀によって作られてしまっていますが、いろいろ調べて行くと真実は真逆で、蘇我氏こそは日本古代史上、日本という国の繫...
佐藤達矢稿

蘇我氏の正体①  乙巳の変 日本書紀の不自然さ(佐藤達矢 稿)

蘇我氏の正体①  乙巳の変 日本書紀の不自然さ日本古代史上最大のクーデターのひとつ。乙巳の変。中大兄皇子、中臣鎌足らが「謀反人」蘇我入鹿を打ち取ったとされる事件ですが、近年の考古学会の解釈では、真実は真逆で、蘇我氏から政権を奪い取るために中...
佐藤達矢稿

スサノオの足跡㉜ 天孫ニニギとは徐福のことか?(佐藤達矢 稿)

スサノオの足跡㉜ 天孫ニニギとは徐福のことか?始皇帝の命で不老不死の仙薬を探すため日本に向かったとされている徐福ですが、その足跡は日本のみならず、朝鮮半島や台湾にまで及び、各地に伝説が残されています。たとえば、現在の韓国の済州島にある西帰浦...
佐藤達矢稿

スサノオの足跡㉛ 徐福の正体(佐藤達矢 稿)

スサノオの足跡㉛ 徐福の正体徐福について、改めてその人の素性と行いを検証してみたいと思います。徐福は古代の伝説の王・黄帝の血脈を引き、山東半島に勢力を張った徐国の王家の嫡子。当時の中国全体を俯瞰しても、名門中の名門の御曹司だったわけです。し...
佐藤達矢稿

スサノオの足跡㉚ 八岐大蛇再々考(佐藤達矢 稿)

スサノオの足跡㉚ 八岐大蛇再々考記紀に描かれた八岐大蛇の正体については様々な説がありますが、斉木雲州氏はこれを出雲の蛇神信仰を徐福集団が妨害したもの、と説明されています。氏の「古事記の編集室(大元出版:2011年)」によりますと、古代の出雲...