三足器 (上野俊一 稿)

上野俊一稿


三足器

三足の器がある。
A・Cは土器、Bは青銅器だが、それぞれ時代も出土地も異なる。
Bは殷の鼎(かなえ)で、ご存知の方も多いと思う。ではAとCはお分かりになるだろうか?
答えは
A:大汶口文化中期/前35~前30世紀
B:殷文化後期/前13~前11世紀
C:縄文文化晩期/前10~前4世紀
※時代はおおよそです

■大汶口(だいぶんこう)文化とは
私が驚いたのはAの大汶口三足土器の優美で洗練されたフォルムである。酒器であろうか? 贋作の可能性もあるが、それでも大汶口のデザインには違いない。
大汶口(だいぶんこう)文化(前41~前26世紀)とは中国の新石器時代の山東省にあった独自の古代文化である。時代的には西遼河の紅山文化(前47~前29世紀)や長江下流の良渚文化(前35~ 前22世紀)と重なる。
Bの殷の鼎は煮炊き用の調理器であるが、殷代には生贄の肉を煮るなど儀式用の礼器に格上げされたもの。宗教的な厳めしさ、陰鬱さが私はどうも好きになれない。
山東省西南部は後の殷(商)と版図が重なるが、それにしても同じ三足器のAとB、こうもデザインテイストが変わるものか?
Cの三足土器は青森県、左が今津遺跡、右が虚空蔵遺跡で出土したもので、左は中国で鬲(れき)と呼ばれる土器に似ているという。鬲に水を入れ、上に甑(こしき)を置く、いわゆる蒸し器である。
三足土器の利点は、どこに置いてもがたつき無く立つことの他に、下からの加熱の効率が良いことがあるのだ。Aのテイストとも共通するものはあるが、山東半島と青森とつなぐものがあったかどうかは分からない。

■デザインは社会の空気を反映する?
大汶口文化の早期は副葬された発掘物等から見て社会的階級差は大きくなかったと考えられ、出土する人骨の性別などから当時の社会は母系氏族共同体だったと推測されている。中期以降は副葬品の階級差が明確になり父系氏族共同体へ移行したと考えられている。
私は大汶口や縄文の柔らかなデザインは、社会の雰囲気を少なからず映し出しているのではないかと想像する。おそらく抑圧も少なく生活も不安が少なかったのでは無いか?

コメント

  1. yasukazusasame より:

    ますます上野古代史観の展開が見られます。東アジアにおける8文明の詳細と関連がこれから以降わたしたちにもっと描写されて行くことでしょう。楽しみです。

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