上野俊一稿

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安曇(あずみ)の館にて

「ふーっ、疲れた」 角鹿から戻ったアズミの連むらじは和白わじろの館に着くと、汗と塩砂を拭って大の字になった。「お帰りなさい。オキナガの大将どうでした? 怒ってました?」 伊都からイトテの頭領の息子ワカが、風を学びに来ている。「まあね。鉄はこ...
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「ワタツミ」は深海の意?(上野俊一 稿)

「ワタツミ」は深海の意?ワタツミのワタはwater(ワラ)にはあらざれど溺れる者はワラをもつかむ日本の神話にはしばしば「ワタツミ」が登場する。山幸彦(ホオリ)が失った釣り針を探し求め、竜宮で出会ったのが豊玉姫。その父が豊玉彦、海を司る大綿津...
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他人のそら似てるやろ?(上野俊一 稿)

他人のそら似てるやろ?よく似た二つの県別マップがある。四国から畿内、そして北陸へとつながるベルトが、よく似ているのだ。■マップA「縄文人・渡来人、どっちに近い?」■マップB「日本語の方言のアクセント概観」マップAは、47都道府県人、各50サ...
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見聞録として読む「魏志倭人伝」②(上野俊一 稿)

見聞録として読む「魏志倭人伝」②陳寿は東夷伝序文に「東夷に今は中国で廃れた礼を見いだした」と書いたが、倭人条本文に特に倭国への強い思い入れを感じさせるのは、倭人条の下記の文章であろう。A 自郡至女王国萬二千余里 B 男子無大小皆黥面文身 C...
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陳寿は倭国を見たのか?見聞録として読む「魏志倭人伝」(上野俊一 稿)

陳寿は倭国を見たのか?見聞録として読む「魏志倭人伝」三国志魏書第30巻の烏丸鮮卑東夷伝倭人条、いわゆる「魏志倭人伝」は倭人の習俗や制度についてこと細かく記している。 服装や道具、食事や生活の様子、葬儀、産物などなど。ただ句読点の無い漢文なの...
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トヨスキイリヒメはトヨである(上野俊一 稿)

【トヨスキイリヒメはトヨである】丹後と近江には『羽衣伝説』がある。それは或る天女が、水浴びしている間に羽衣を盗まれ天に帰れなくなる話。丹後国風土記では、仕方なく盗んだ老夫婦の娘となり、老夫婦は裕福となるが、やがて天女は追い出され放浪の旅に出...
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三足器 (上野俊一 稿)

三足器三足の器がある。A・Cは土器、Bは青銅器だが、それぞれ時代も出土地も異なる。Bは殷の鼎(かなえ)で、ご存知の方も多いと思う。ではAとCはお分かりになるだろうか?答えはA:大汶口文化中期/前35~前30世紀B:殷文化後期/前13~前11...
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アマテラスはいつの人?(上野俊一 稿)

アマテラス(天照大神)が実在したとすれば、一体いつ頃の存在か?その推定の手がかりのひとつが、鏡である。■注目すべき籠神社の鏡まずアマテラスがニニギ(瓊瓊杵尊)が降臨、任地に天下りする際に授けたという鏡がある。最終的に伊勢神宮に安置されたとい...
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韓半島をウサギにしてみた (上野俊一 稿)

韓半島をウサギにしてみた (上野俊一 稿)魏志東夷伝の序文を読むと、陳寿の東夷諸国に対する熱い想い、この記録編纂に懸けた情熱などがうかがえます。公孫氏に専横を許したために、東夷諸国との関係が断たれ長い間交流が途絶えたことへの忸怩たる想い、中...
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伊都国王はスサノオか?(上野俊一稿)

伊都国王はスサノオか?■海の支配者スサノオアマテラスのモデルは卑弥呼ではないか?という説は、古くは白鳥庫吉氏、和辻哲郎氏に始まり、今は安本美典氏らが唱える。理由は主に両者のプロフィルの類似。例えば次のようなものだ。 ①日神信仰の権威 ②夫が...