陳寿は倭国を見たのか?
見聞録として読む「魏志倭人伝」
三国志魏書第30巻の烏丸鮮卑東夷伝倭人条、いわゆる「魏志倭人伝」は倭人の習俗や制度についてこと細かく記している。 服装や道具、食事や生活の様子、葬儀、産物などなど。
ただ句読点の無い漢文なので、文や段落の区切り方にもよるが、一般的な直訳では、まるで脈絡無く並べた味気ない文章のように思うかも知れない。
たとえば、次の倭人の習俗や制度を述べた段落の直訳を見てみよう。
【原文】
①其会同坐起 父子男女無別
②人性嗜酒
③〈魏略曰 其俗不知正歳四節 但計春耕秋収 為年紀〉※裴松之の注
④見大人所敬 但搏手 以當跪拝
⑤其人寿考或百年或八九十年
⑥其俗国大人皆四五婦 下戸或二三婦 婦人不淫不妬忌 不盗竊少諍訟 其犯法 軽者没其妻子 重者没其門戸及宗族
⑦尊卑各有差 序足相臣服
【直訳】
①その会同・起坐には、父子男女の別は無い。
②人は酒好きである。
③〈魏略に倭人は正月や四季を知らず、ただ春の耕作や秋の収穫を計っておいてそれで年数を数えているとある〉
④大人(たいじん)敬するところを見ると、ただ手を打って、跪拝(膝まづき拝する)の代わりにする。
⑤人は長生きで、あるいは百歳、あるいは八十、九十歳。
⑥風習では、国の身分の高い者はみな四、五人の妻を持ち、身分の低い者もあるいは二、三人の妻を持つ。婦人は淫せず、やきもちを焼かず、盗みかすめず、訴え事は少ない。その法を犯すと、軽い者はその妻子を没収し、重い者は一家及び宗族を滅ぼす。
⑦身分の上下によって、各々差別・順序があり、互いに臣服するに足りる。
(Wikipediaより石原道博編訳の「新訂 魏志倭人伝」を踏まえた日本語訳)
どうでしょう? 一つ一つは理解できても、全体としてまとまりがなく、何を伝えたいのか分かりにくい。
そんな印象からか、陳寿は他の史書や郡使の書いた記録を寄せ集めたに過ぎないなど、冷めた見方もある。
だが、ちょっと考えてほしい。
③の〈〉でくくった一文は裴松之が後に加えたとされる注だが、彼はなぜ何のためにここに注を入れたのだろうか?
「それは⑤の長寿と絡めて二倍歴の疑いを指摘しているのだ」と思われる方もおられるかもだが、もしそうであれば、③の注は⑤の後に置かないと意味が通らない。
やはり③は②①に関連する注であるはずだ。
想像しよう。
誤解を恐れず、状況を掴もう。
集会、共に座る様々な人々、酒、そして収穫……
そう、裴松之は、①②で、この集会が収穫を祝う集まりであると読み取って、倭人の春秋の収穫歳時に関する注を入れたに違いないのである。
そう考えて読み直すと、俄然文章に命が宿ってくる。これは実際に見た情景を書いているのではないかと思えてくる。
では直訳で無く、見聞録として描写的意訳に挑戦してみよう。
【描写的意訳】
①その集まりには老若男女が分け隔て無く立ち座りしている。
②みんな酒には目が無い。
③〈注:魏略に倭人は正月や四季を知らず、ただ春の耕作や秋の収穫を計っておいてそれで年数を数えているとある。その祝祭の集会であろう〉
④大人が(祝辞に)登場すると、みな拍手で敬意を表して迎える。これが中国の跪拝に代わるものだ。
⑤その大人たちはかなりの長寿で、思うに100歳、あるいは80~90歳のものもいるようだ。
⑥彼らの習俗では、大人はみんな4、5人の妻を持ち、下戸でも2、3人の妻を持つとか。婦人は貞淑で、嫉妬せず、盗みもなく、 訴訟も少ない。法を犯すと、軽いものはその妻子を没収し、重いものは家族や一族を滅ぼしてしまうとのこと。
⑦身分の尊卑にはそれぞれ序列があって、下は上に臣服し秩序が保たれている。
いかがであろうか。意訳ではあるが情景が鮮やかに見えてこないだろうか。魏志倭人伝にはこのような見聞録と思われる箇所がいくつかある。記録の寄せ集めと片付けず、情景を思い浮かべながら詠んでみるのも一興である。
陳寿は東夷伝の中でも、特に倭人条に紙面を割き、さらに東夷伝の序文でこう書いている。
「長老が説くところでは、 顔つきが普通の人とは異なる人々が日の昇る辺りの近くに住んでいるとのことだ。ついには 諸国をあまねく見てまわり、それらの国の法俗や国の大小の別を採録し、それに各各名号があったのでそれも詳しく記録することができた」
日の昇る辺りに住む人々とは、私は韓半島最南部にいた倭人のことではないかと想像する。 並々ならぬ倭国への関心がうかがえる。もしかすると陳寿は役人の記録には飽き足らず、本当に倭国に渡り来て、興味津々のその目で実情を確かめたのかも知れない。
コメント
素晴らしい出来です。素晴らしい作品です。魏志倭人伝のクリーンヒットでしょう。陳寿のご容姿が笑っております。
ありがとうございました!
今後の邪馬台国論争に新しい風が吹いてくるようです!