スサノオの足跡⑤ 八岐大蛇退治の真相

佐藤達矢稿

スサノオの足跡⑤ 八岐大蛇退治の真相
スサノオが日本にやってきたとき、彼は八岐大蛇退治という大勲を立てて出雲・八上国王の王女・櫛稲田姫を救い、一躍八上王国の後継ぎとなります。 それまでさんざん悪者扱いされていたスサノオですが、ここに至って面目を一新、これが現代にまで伝わるお神楽という芸能の十八番として今も各地で演舞が行われています。
この八岐大蛇退治の真相については様々な説があり、斐伊川という川の氾濫を象徴的に表したものであるという説や、オロチョン族という、現在のウラジオストク付近にいた民族のことであるという説等があります。
しかし、残念ながらこのドラゴン退治のストーリーもまた、ギリシャ神話をはじめとして世界中に数えきれないほど類例があり、記紀がまたしてもどこからか物語の型紙を拝借している、と考えるのが最も妥当な解釈ではないかと思われます。
特に、頭が九つある龍(八岐であるということは首は九つあった)という造形は極めて西欧的な意匠であり、黙示録の世界を想起させます。あちらの伝説がこちらでも伝承された、ということではないかと私は考えます。
龍というものは東方世界では神か、それに近い存在であり、中国では皇帝のみが使用できる紋章、日本においても皇室のみが使用できる高貴な紋章でした。
これが西欧世界になりますと龍は悪役になり、征伐される対象となります。
八岐大蛇退治はどうみても西欧的世界観によって出来上がったストーリーであり、東洋的な世界観とは相容れないものなのです。
もちろん、当時の記紀の編纂室に旧約聖書や新約聖書が本の形で置かれていたわけではなく、本の中の物語だけが、来日した貿易商人等を通して口頭で伝えられ、それを書き残した文章があるだけだったでしょう。そのような基礎資料は膨大な数に上っていたはずで、数ある伝承の中から最も適切と思われるものを抜き出し、繋いでゆくことが記紀の編纂作業だったはずです。そのため、編纂者自身は「ここは聖書から借用しよう」などいう作為は持っておらず、大真面目に膨大な情報を整理して、ひたすら正しい歴史書をまとめようと努力していただけのかもしれません。そのため、記紀という書物を偽書であるとかパクリであると断定するのは適切ではないと思われます。
そして、記紀は単に他国の伝説を切り張りしてまとめたのではなく、そこに出てくる人物名や剣の名前などには実際の意味があり、スサノオが嫁に迎えた櫛稲田媛や、その両親である手名椎、足名椎、そして大蛇の尾から出てきたという天叢雲剣などは実在したもので、記紀はドラゴン退治の話の型紙を借りながら、隠された真のストーリーを暗示しているのではないかと思われます。
スサノオは記紀においては日本人の最も原初的な祖先の一人となった人物ですから、彼が日本に渡来した時に先住していた民族との間に戦争が起こっていたとしても、記紀はそのままの真実を書けなかったでしょう。・・・なぜなら、彼らは戦いの後に同化して、同じ民族となっているからです。子孫にとって先祖同士が殺し合いをしたという歴史は抹殺する必要があり、そのために、渡来人と先住日本人との間に起こった戦争は闇に葬られたはずです。
記紀の作者はここではむしろ、スサノオを祖先神にふさわしい英雄譚を引っ提げて、さっそうと日本に登場したことにしておきたかったはずです。
記紀はそれまでさんざん、悪いことをしたのは全部スサノオであるという書き方をしてきたのですから、ここらでスサノオの名誉を回復させてやる必要もある、と考えたかもしれません。
したがって、出雲の国を救った大英雄としての物語は、実は帳尻合わせであり、スサノオの真の姿は出雲国の侵略者であったかもしれない、という見方さえできます。
ただ、スサノオが八上国の王の娘を娶ったというところは真実ではないかと思われます。
これは当時の社会ではよくある話で、朝鮮半島の王族の王子が日本列島の王族の王女と結婚する、あるいはその逆で日本の国王の王子が半島から嫁を迎える、という政略結婚は常に行われていました。
スサノオ族の性質からして、彼らが出雲に渡来した時も多少の乱暴狼藉はあったのではないかとも思われるのですが、ともかく出雲八上国とスサノオ族は和解して婚姻政策を結び、無事に同化を果たしたのでした。
物語の最後の「大蛇の尾から剣を取り出した」というところが曲者で、「剣を手に入れた」ということは戦を行って勝利し、敵を支配下に置いたことを意味します。
また、その剣の出所が「大蛇の尾」なのですから、これはつまり、敵の大将を倒してその剣を手に入れたということで、このことからするとスサノオ族はやはり、当時出雲八上国と敵対していた勢力を討ち、八上国を救済したのかもしれません。
結論を申し上げますと、八岐大蛇退治のストーリーによって記紀の作者が伝えたかった事跡とは、
①スサノオ族が、戦えば非常に強い民族であったこと。
②出雲の八上王国という国と婚姻を結び、民族の同化という形をとって渡来してきていること。
③渡来した時にある民族と戦い、勝利してその地の軍事権を掌握していること。
④その民族とは八上王国とは敵対関係にあった民族であること。
・・・これらのことは真実であり、これらを説明するために大蛇退治という型紙が引用されたもの、と私は考えます。
民族によって日本への渡来方法はさまざまです。あとから日本にやってきた民族は、先住していた民族と何らかの折り合いをつける必要がありました。そして日本という国の不思議さは、必ずしも侵略戦争によって渡来が行われたわけではなく、平和裏にやってきた渡来者も多かったということです。
極力争いが起こらないように、事前準備を重ねて平和的にやってきたアマテラス族。
(武御雷命の出雲襲来の時など数回は武力行使した痕跡もありますが・・・。)
やはり日本先住民と争わず、ずっと前から日本民族と婚姻して同化していたツクヨミ族。
スサノオ族はどうだったか?・・・。
この謎は謎のまま、残しておいた方が良いのかもしれません・・・。

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