古代史と宇宙

山下保さん稿

山下保さん 対話編
「古代史と宇宙に関する一考察 」

今回は、古代史と宇宙に関する一考察 
〜Dialog(対話編)として、古代史研究会でRSさんとやり取りさせて頂いたコメント内容を、自分でも保存管理して見直し点検していきたい、と思っています。
 確か、いったん

オーシャンサイドカンパニーへの投稿作品
⚪️古代史と宇宙に関する一考察 
〜Dialog(対話編)

フェイスブックにあります、とある古代史研究グループでの、R・S様とのコメントのやり取りから、一部抜粋し、転載いたしました。

(2022.6.25) 夕陽と青い雲 北九州市八幡東区にて撮影

(R・S様より)
みなさん、初めまして。
私は古代史に詳しくないのですが、お詳しいみなさんに聞きたいことがあります。

一般的に、八百万の神のトップは天照大神と言われますが、実はさらに上位に位置する神もおり、それが天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)であり、それは悪魔崇拝の神であるという話がありますが、どう思われますか?

また、天之御中主神は秦氏によるルシファーの呼び名で、その神と同一と看做されているが国常立尊(くにのとこたちのみこと)であり、こちらが、出雲族が呼んでいた神名であると。

RAPT理論や幸福の科学と関わりがある説のようですが、
最近youtubeで人気になりつつあるYoshi Sun TVの岡本佳之氏、彼の著書「アマテラス解体新書」、こちらは未読ですが、彼ら関暁夫に群がる団体もグノーシス主義と密接に関わり合いがあり、彼らもこのような歴史観に沿っているものと考えます。

古代史を一次資料から紐解かれている皆さんならば何か知っているのかと思い、投稿させていただきました。
個人的に私は宗教に関することもタブーはないと思いますので、思ったことを書きました。

山下保より
そもそも論ですが、、神仏の世界に善悪正邪のジャッジメントはありません。(全てが無条件にその存在が赦されている世界です。)(自然界を見れば、宇宙の理コトワリがシンボルとして表現されています。例えばヘビがカエルを丸呑みしている光景を目にした学童期の自分はそれを見て、カエルを助けたいと思いましたが、呑まれていくカエルの諦念の中にも恍惚とした表情を見て、やたらに複雑な思いを抱いた記憶がありますが、それは今思えば脳内麻薬エルドルフィン等が沢山放出されていたかもしれないし、あくまで自然界の調和と秩序の中に事象が展開されているのであり、恐れや悲しみは自分の意識が勝手に色付けしたものかもしれない、と感じた次第であります。)
 全て人間であり、(この物理的領域における主体的な創造主としての)人類意識が、
本来は中性(ニュートラル)な事象(出来事)に、様々な感情というフィルターを設けて、陰影に富む多彩な色彩のdramaを味わっている、というのが神仏領域にいらっしゃる方々からの、おそらく正直な受け止め方ではないか? とワタクシは感じております。
 個人的には、生命の樹(セフィロト)の三柱、日神、太陽神(アマテラス)、月神(ツクヨミ)、中央に英雄神、軍神(スサノヲ)であり、
中心に位置するアメノミナカヌシ(宇宙根源神)、タカミムスヒ(生成力の神、陽性の力)、カミムスヒ(生成力の神、陰性の力)を象徴(シンボル)として古代から時空を超えて伝える宇宙の理コトワリを表すメッセージだと、個人的には考えています。
全ては、物質偏重的な見方とは対照的な位置にあるモノの見方、霊的(見えざる領域)に視点視座を置く(それは言わば、超音波や不可視光線などの人間にはなかなか知覚出来づらい情報領域に、瞑想や巫術等によってアクセス可能な)ことにより得心される、
エネルギー的な観点から世界を観る仕方だと思われます。
 エネルギーには本来、色はありませんが、人間(人類意識)が、そこに様々に着色して
色付けをしキャラクターに生命いのちを息吹き注いでいます。
それ故に、アメノミナカヌシを悪魔とみなす方々においては、それを裏付ける確証が次々に見出されていきますし、
あくまでもシンボルとして、宇宙と大地(地球)を貫く、(ちょうど天叢雲剣に象徴される剣、雷、根源の生命エネルギー存在としてポジティブに捉える観点からは、その大いなるエネルギー的な恵み(パワー、波動共振に伴う幸運引き寄せ)に浴することが可能となります。
宇宙は全く公平であり、人間(人類意識)の自己選択、自己責任を徹底的に尊重します。
それが無条件の愛であり、人は自分の信念に従い、自身の現在と未来を(意識的あるいは無意識のうちに)自ら創り出しています。
それが宇宙の法であろう、と小生は認識しております。m(_ _)m

(R・S様)より
非常に勉強になりました。
カエルの恍惚とした表情…ジョルジュ・バタイユや三島由紀夫の思想を思い出しました。

仏教的には空と無の違いですかね?西洋人には理解できない、諦念ではない境地でしょうか?
ただそのような抽象的な思想において、具体的で主体的は判断を迫られる時は困難ではないでしょうか?

(山下保)
R・S様へ
 仏教的には空の概念、西洋人には理解し難い、というのはそうだろうとは思いますが、あくまでも魂タマシイ次元の話であって、そのような意識の領域においては、人種や民族の違いはなく、西洋人でもわかる人にはわかるだろし日本人でも目に見えない世界に対する感度が弱く、全く理解出来ない(敢えてされようとしない)方々も大勢いらっしゃるでしょう。しかしそれはことさら優劣を意味するものでもなく、ただ個々人の自由意思に基づく観察視座の選択の結果に過ぎない、とも観じます。ご指摘の具体的で主体的な判断を迫られた時は、外に映る世界の様々な事象や誰かのニュースソースに一切頼らず内観瞑想して真我に真実を訊ねていくこと、
人間はそもそも多次元の存在であり陰陽両極のドラマが同時に展開していることを察知して、ニュートラルな視座から自分と世界により望ましい現実や未来にフォーカスすること、が現代を生きる私たちに(宇宙から)求められていると感じています。

(山下保)より
最近、A•M様ご投稿記事に対しての返信として述べさせて頂いた意見を(繰り返しで恐縮なのですが、それはあくまで一つの見方、意見であり絶対に正しい!との押し付けではありません)再掲させて頂きます。

(その1)神話が言葉で語り残す全ては、シンボリックな意味の表れであり、確かに真実が含まれていますがあくまでもこれまで私たちが存在して鏡に映し見てきた三次元意識(エネルギー密度)の世界とは異なる存在様態、いわゆるエーテル体他の異なる次元に在る意識存在による物理法則(異なる宇宙法則)の下に展開された"真実”であるだろうと感じています。
 素粒子理論物理学でいうところの超対称性理論で語られる宇宙の標準理論で登場するボース粒子とフェルミ粒子。これらが位置する場については、数量的に計算可能なボース粒子(光子、中間子など)は、媒介する作用(力、働き)、即ち目には見えないエネルギー量、Hzなど周波数や波動で記載される空間に位置しており、むしろ私たちがふだん目に映し出してその存在を知覚している物質を構成するとされるフェルミ粒子(電子、陽子、中性子など)が対称的な場としての超空間に位置する、と理解しております。
それは、ふだん私たちがまさに目に見えている”物質”で把握し解釈している世界はむしろ超空間に位置する”鏡像”、”幻想”であり、
アヌンナキ他の高次的意識存在がある次元空間は、桁の違う大きなエネルギーの奔流する高密度の意識状態にある視座であり、そこには私たちが用いる有限な言葉では全てを表現し得ない世界である為、私たちの理解可能な範疇でのシンボリックな表現として神話があるのだろう、と考えています。
 人類の意識が長い年月を経て、憎しみや恐怖を乗り越えて、再び縄文時代以前の宇宙との一体となる超意識存在に還る時期が、二万六千年周期で(これも周波数や波動で表記される宇宙のリズムかと思いますが)まさに現在訪れつつあり、最近巷で話題になっている宇宙人との邂逅は、(潜在意識、超意識の天戸開き)、そのことを指しているのではないかな、と感じています。

(山下保)より
(その2)言葉とは、メッセージを伝達する手段(ツール)ですが、それはある意味で世界を切り取り分別して多様に深掘りされた世界(エントロピー増大の方向に)を創造可能とすると考えられます。
 エネルギー不変の法則により、言葉を駆使して現れる多彩で多様に顕現された世界(従来の科学的世界観もまた、現時点で未成熟な段階故に、切り取りされた世界を映し出す”物語”の範疇にあると言えます。)
そこに注視して築かれた現代社会は、いわゆる生命エネルギー(地球や宇宙、自然や火、水、風、大地、樹々などの他存在)に対する感性を失い、人々個々人がバラバラに切り離され、互いに制限された自我意識の範囲内で正邪や善悪をジャッジ(判別)して自らの正義を強弁します。
 縄文時代以前の人類は、五感それ以上の感覚野(脳内における知覚受容器)を開いて、これらの人類以外のより大きな生命エネルギー(意識体)と直接アクセスして制限された言葉以上の非言語的コミュニケーションにより、膨大な情報のパッケージを扱っていた、と考えられます。言葉などそもそも必要がなかった。
即ち未開の人々と呼ばれども、未開=未成熟ではなくて、むしろエネルギーを現代人のような妄想世界(全ては物語であり幻想)に過度に注ぐのではなく、宇宙や大地と繋がり、真実のリアリティ(調和と喜び、平安と感謝)に生きていた、(子宮をイメージした死と再生の死生観は、いのちの循環を意味し、死への恐れも無かったと思われます。)そのような意味においては、現代人より一つ次元の違う精神性の高さを持ち合わせていた人々であったと観じています。
 縄文時代それ以前の人類とは、おそらく(旧約聖書に語られる)知恵の実を食べる以前のより高い周波数領域の宇宙エネルギーに満たされた世界の住人たちであり、彼らは言葉に頼らずとも、情報伝達をtelepathyにて共有出来た、
彼らには時間という概念もなく、ただ今に生きていた、、それはわからない人にはお花畑か!と噛み合わない議論になるでしょうが、
人類が有する潜在意識下にある本来のチカラは、そんなにちっぽけなものでは無かった。ことを暗示しています。
知恵の実食べた(時間の設定、左脳偏重であり管理制限する世界への帰着、競争とトラウマ、恐怖を煽って優位性を保とうとする自我にハンドル与えた世界観の構築)ことも、ある意味での人類意識自身が選択した陰陽実践のいわゆる実験だったと思われますが、
非常に古い古代の先人達は、いずれ(宇宙時間による)刻が来ればその終わりが来ることを初めからわかっており、世界の終わり(人類意識上の大変容、原点回帰)に至ることを預言や口伝として様々に遺し受け継がれてきたのであろう、と小生は捉えています。(その大規模な人類意識の変容の時代とは、陰極まりて陽が拓く、まさに今現在の時代であると睨んでいます。)

R・S様より
これまた非常に勉強になりました。ありがとうございます。

私の理解が足りないのかもしれず、また押し問答のようになるかもしれませんが、ニュースソースに頼らずニュートラルな視座からフォーカスするというのは、即物的な現実に生きる我々にできるのでしょうか?例えば選挙での投票先を決める場合など。

山下保より
R・S様へ
 現在のような、中央国家集権主義を支える政治経済体制(金融財政、外交・防衛、医療、教育、農業・食糧生産を含む)は、陰謀説はいったん傍に置いたとしても、そう遠からずいったん全てが瓦解するでしょう。
もはやそれらは、どんなに守ろうとしても本質的に人々のニーズに合わず、かなり古びたモノとなっており、時代遅れの錆び付いたシステムとしてもうもたない、受け入れられないのです。
今後は、地域ローカルにて顔の見える関係から始まり、多種多様な照葉樹林帯の生態系のような様々なコミュニティ(共同体)が、通信他新しい技術の再発見、進展により結びついた新しい文明が起こされるでしょう。(それは若い世代の方々の力によるところも大きいでしょう、と思います。)
世界の終わりとは、新しい時代のトビラが開かれることを指していますが、それは旧来の左脳(論理的思考)のみに固執したやり方では到底解決には至らないでしょう、と思われます。
 古代人の神託・巫術や占術とは、右脳(直感脳力)に信頼し、それを開いて言葉では補えない多量の情報パッケージを、瞑想や奏楽や舞い、沐浴他の個人に見合う独自の仕方を通して、時空を超えた意識体(生命エネルギー)に繋がり教えを戴く仕方であったと思われます。
そしてそれが、チベットやインディアンやアボリジニその他の僻地に居住する原住民の暮らしにも通じる高次の智慧に繋がるアプローチ方であり
この国では禅宗や瞑想、瑜伽、様々な祈祷、登山時に触れることが出来る修験道や密教、自然信仰などの多様な形において、
組織に拠らず一人で(真我に至る道)を求める探求者等が、これまでも現在も模索していることだろうと拝察しています。
特に今の時代は、エネルギー的にみて宇宙からの応援が高まっている(宇宙から降り注ぐ電磁波の量、Hzなどの周波数域の増加)時期なので、まずは自身と未来を信頼し、純粋な水を飲み自然な野菜や果物を食べ、ゆっくり休養できる時間をとって自分自身のトラウマを癒し、出来るだけ一人で静かに瞑想(呼吸に意識する)して自我の思考を手放す、考えない時間を過ごす(外側の他者や状況に翻弄されず内観に努める)ことで、(密教ヨーガでは七つのチャクラを拓く、第三の目を開眼する、と表現しますが、)
結果的に日常生活で判断する(決断を下す)ことが、周囲との関係性のポジティブな変化などの引き寄せを伴って可能となる、と聞いています。ワタクシはそのように実践を心がけています。

R・S様より
そうなればいいと私も思います。
しかしそうならない可能性もまたあると思います。

(山下保)
一人一宇宙、聞いたところでは想念の数だけ宇宙(世界)はあるようですよ。
そうなる世界ももちろんあるし、そうでない世界もまた間違いなく存在するようです。
結局は自らが焦点を合わせて深掘りして得られる信念により、その感情信念にマッチした世界にエネルギー共振していくようです。
(おそらくですが… 😅)
まあどうせ前に進むなら、自分や世界にとり好ましい未来(自分がなりたい自分の住む世界、協調と調和、自他不二の慈愛など)をイメージして、フォーカスする方が、誰かの拵える恐怖や怒り悲しみ無力感を覚えるミライに無駄なエネルギーを注ぐより、ずっと効率良くリスク回避、希望ある未来創造が出来そうです。
全ては、自分の心(信念)次第、であるかと、私は確信しています。(自説を長々と、少し喋り過ぎだったかと反省してます。この辺りでやり取り失礼します。戯言と言われかねない自分の話に丁寧にお付き合いし聞いて下さり、誠に有難うございました。この辺りで失礼します。🙇‍♂️)

(R・S様)より
こちらこそ貴重なお話ありがとうございました。
また違う機会に話すことがあればその時はよろしくお願いします!

(A•S様)寄り
難しいことがお分かりになるんですねー。
長々、くどくど、付いていけませんわー。
難しいお話しをどうも。

コメント

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