月の民の足跡⑤ 因幡の白兎伝説の検証 (佐藤達矢 稿)

佐藤達矢稿

月の民の足跡⑤ 因幡の白兎伝説の検証。

 古事記で語られる因幡の白兎伝説。これこそ「月の民」が日本に渡来したことを意味する逸話ではないかと思われるのですが、不思議なことにこの物語は日本書紀には記載されていません。「紀」は意図的に「記」のこの部分を削除しているのです。

 では、この物語がまったくの作り話であるかというとそうでもなくて、鳥取県に白兎海岸という海岸があり、白兎のやって来た海岸であるという伝説が残っています。

 またその近くには白兎神社という神社もいくつか見られますので、この伝説は実際にあった史実をもとにしているものと思われます。・・・この史実を抹殺した日本書紀の方にこそ、なにかしらの隠蔽意図が感じられるのです。

 「イナバノシロウサギの総合研究」(石破洋著、牧野出版、平成12年)という本の中で、この白兎伝説について詳細な分析がなされています。

 この本の著者の石破洋氏は、古事記の本文中に「菟神也」という文字があることに着目し、このエピソードは世界中に広く見られる、「神が動物に姿を変えて現れ、人間を試す」というパターンの説話と同一のものと分析しています。

 つまり、ウサギはサメに丸裸にされてみじめな姿になったのではなく、神様がそのような姿に変身し、大国主がそのような弱者に対してどのような対応をするか、ということを試したうえで、国の王となるにふさわしい人物であるかどうか見極めようとした、ということです。

 あわれな兎を見て、大国主の兄弟たちはわざと傷が深くなるような治療法を教え、その通りにして傷ついた兎を嘲笑します。いっぽう大国主は兎に正しい治療法を教え、みごとウサギを救ったため、ウサギは「あなたこそヤガミヒメの婿にふさわしい。ヤガミヒメと結婚するのはあなたでしょう」と言って二人の仲を取り持つのでした。

 現在でも鳥取県に八上郡という地域があり、そこは古代出雲王国の中心地であり、当時は最大規模の人口を抱える地域でした。ヤガミヒメとはこの地域の王の王女だったに違いなく、この姫を娶るということは八上地域一帯の王となることが約束されるということでもありました。

 

 大国主は白兎神の試験に合格し、出雲王国を手に入れたわけです。

 「大国主」とは歴代の出雲国王の職名ですが、古事記ではこれを最初「大穴持」と書いています。「大穴持」あるいは「大己貴(オオナムチ)」は渡来系の神様ですので、白兎を救った大国主は渡来人だったと思われます。

 また、「白兎」の「白」という文字から、私はこの兎の出自が半島の新羅国にあるのではないかと思えます。新羅国は古名を斯盧(シロ)国と言い、白が民族の基調の色でした。

 小泉友賢という人が江戸時代に書いた「因幡民談記」という本によりますと、鳥取県八頭郡郡家町には三社の「白兎明神」があったそうです。この地域には400基を越える古墳が現存しており、その中のひとつ、「福本70号墳」は変形八角形をした方墳で、これは高句麗の古墳形式です。また、その起源を遡ると、秦の始皇帝の陵墓も方墳です。

 さらに、この地域に伝わる口伝の白兎伝承では、ウサギが背中をつたって渡ってきたのはワニではなく、鱒(マス)だったということになっており、古事記の記述とはここが異なっています。

 明治大正の頃まではこの地域にも鱒が川を遡上して来ていたようです。そして、私はこの話を聞いて、扶余(後の高句麗、百済)の祖である東明王の逸話を思い出しました。

 東明王は前王から命を狙われて逃げる最中、川に差し掛かったところで魚や亀が浮かび上がり、その上を伝って逃げることができた、という話が三国志や後漢書にあるのです。

 もし、古事記の作者である太安万侶が、大国主と白兎のルーツを知っていてこのようなエピソードを創作したのだとしたら?・・・安万侶は後世の人が、この二人が高句麗方面から新羅経由で来た人々であることを気づいてくれるよう、隠喩として物語の中に隠したのではないでしょうか?・・・そして、この隠喩に気づいた朝廷は、伝えられてはまずい史実を隠匿するために、改めて日本書紀編纂を命じた・・・。

 実は、古事記の中にはこのような仕掛けが縦横に張り巡らされており、後世の人がよくよく調べれば正しい事実が判明するような書き方がなされている部分が多いのです。

 執筆当時、立場上書きたくても書けなかったことが非常に多かった太安万侶は、悩んだ挙句、隠喩的なエピソードを随所に挿入し、後世の人が良く調べたらわかるようにしておいたのではないか?・・・この白兎の物語においては「ワニの背中をつたって渡ってきた」という部分で東明王とのゆかりを匂わせ、鱒をワニと置き換えることによって川ではなくて海を渡ってきたことを暗示した・・・。

 また、鳥取県大石町と中山町には鷺神社があり、社名は鷺ながら御祭神は白兎神です(ウサギ⇒サギという転訛)。

この白兎神は当時「稲背脛」と呼ばれていたようで、この名前は白兎が赤裸にされたという古事記のエピソードを思い出させる一方、稲の背を剥ぐという語感から、コメの脱穀方法を伝播した人物が白兎神だったのではないかとも推測されます。

 鳥取県八頭郡郡家町にある青龍寺(古名を城光寺)に残されている「城光寺縁起」には「白兎は月読神の神体なればなり」とあります。やはり、白兎は月読命の一族だったのです。

付け加えれば、前述の福本70号墳から出た青銅製の匙は、百済の武寧王陵から出土したものと同形だということです。

 少し位置が離れますが、この古墳の形と同型の「影向石」というものが宇佐神宮の境内にあり、さらに同じ八角形の建造物が熊本の鞠智城や法隆寺にもあります。

 他にも宇佐地方には免ヶ平古墳や宇土三号墳など、ウサギの一族とのつながりを思わせる史跡が点在しています。宇佐と因幡は結びつきが強い地域のようです。

 

 ・・・こうして朝鮮半島経由でやってきたウサギの一族ですが、かと言って彼らは半島の出身というわけではなく、もっとずっと西からやってきた民族だったようです。

 このサイト管理人の堀哲也様の投稿によりますと、インドの月神チャンドラの侍臣がウサギ。そして古代エジプトの日神ウンは兎頭人身の神・・・。

 こうしてみると、ウサギの神様は世界中、至る所で祀られているようです。

 また、古事記において、アマテラス以前の神代の神々の系譜の中に大戸という文字を持つ神様が何人か登場します。この大戸はもしかしたら大兎かもしれません・・。

 最後に。鳥取市にある売沼神社の御祭神は八上姫ですが、地元の人は「西日天王」と呼び習わしていたそうです。西日の指す方向、はるか西の国からやってきた神様、という意味でしょうか?・・・

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