韓半島をウサギにしてみた (上野俊一 稿)
魏志東夷伝の序文を読むと、陳寿の東夷諸国に対する熱い想い、この記録編纂に懸けた情熱などがうかがえます。
公孫氏に専横を許したために、東夷諸国との関係が断たれ長い間交流が途絶えたことへの忸怩たる想い、中国で失われてしまった「礼」がこれら諸国に残っていたことの感動、特に「顔つきが普通の人とは異なる人々が陽の昇る辺り付近に住んでいる」と、倭人?を示唆する古老の言葉を載せ、強い関心を抱いていることなどなど。
古代の大陸と倭との関係や倭の成り立ちを考える祭に、東夷伝はその良い足掛かりとなることは言うまでもないこと、しかし分かりにくいのが韓半島の地勢地理、どういう民族がどの時代どこにいて、どこそこから来た勢力に押されてどこへ移動した、などの記述について行くのは(歳のせいもあるが)大変です。
そこで思い付きで、失礼ながら韓半島をウサギに見立てることにしました。するとなかなか都市や河川の位置関係が憶えやすくなりました。
まず頭が北朝鮮、胴体が韓国です。区切る首輪が38度線。
顔と腹は平野部、耳と背中は山岳地帯。
左耳の外形線が鴨緑江、右耳の外形線は豆満江。
こめかみにピョンヤン、胸元にソウル、足が光州、お尻がプサン、尻尾が慶州。
といったところ。
なんということでしょう。
韓半島ウサギ化によって、古代の国々の位置関係が俄然つかみやすくなりました。
【箕子朝鮮とは?】
箕子は伝説では殷から分かれ半島に国を興したとされ、BC1046 に殷を滅ぼした周の武王も朝鮮候として遇したと言われます。その比定地がウサギの顔辺り。
BC221に秦が中国を統一した時、箕子朝鮮も服属しながらも朝貢はしませんでした。そして秦漢交代期の混乱から逃げて来た数万の人々を右耳の先辺りに住まわせます。
【衛氏朝鮮とは?】
その中に漢に背いて逃げて来た燕の衛満もいました。彼は朝鮮王準王に国を護る盾となること約し、燕・斉・趙からの亡命者を誘い入れ、ウサギの右耳の先っちょの清川江周辺に勢力を拡げます。そしてBC194年、衛満は城を防衛すると欺き箕子朝鮮を乗っ取り衛氏朝鮮を名乗ります。準王は南に逃げ、馬韓を興したとされます。
【漢の四郡設置】
漢の武帝はBC108に衛氏朝鮮を滅ぼし遼東半島に遼東郡、韓半島に四郡を設置します。顔部分に楽浪郡、その北部に玄菟郡、背中に臨屯郡、腹に真番郡。もっとも最後の二つは住民の抵抗に遭ってまもなく廃止されたようです。
【高句麗の勃興】
玄菟郡の支配に抵抗したのが高句麗です。三国史記ではBC37に朱蒙が興したとされますが、実際はより古くからあったと見られています。高句麗は前漢の衰退に伴って南下、同民族とされる扶余の一部も共に南下し更に南に百済を興したともいわれ、ウサギのヘソ辺りにその名が残ります。元箕子・衛氏朝鮮の民と思われる濊と言語が似かよるところから文化的融合もあったのかも知れません。
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