女王国=邪馬台国ではない(上野俊一 稿)

上野俊一稿

女王国=邪馬台国ではない

魏志倭人伝の女王国と邪馬台国は同じか? 違うのか?
邪馬台国九州説を前提に、私なりのイメージを体系図にまとめてみました。

【女王国】
倭国は共立女王卑弥呼をいただき、伊都国グループ、邪馬台国、投馬国の三つのクニの集団から成る連合体です。
その中で女王国とは、倭国の政権中枢・都(宮処)を意味するものと考えます。
特定の領土を持つ国ではありませんが、所在地は邪馬台国内にあり、必要によって遷宮・遷都も可能です。
「世有王 皆統属女王国~」と述べられているように伊都国や投馬国は政権中枢としての女王国に統嘱していますが、邪馬台国に統嘱している訳ではありません。
下記の記述例では、女王国は地理的な都を指すので邪馬台国と重なる場合もあります。
「自女王国以北 其戸数道里可得略載 其余旁国遠絶 不可得詳~」
「自郡至女王国 萬二千余里~」
「自女王国以北 特置一大率検察 諸国畏憚之~」
但し狗奴国の攻勢が始まってからは、難を避けて伊都国に遷宮した可能性が高い。
おそらく「女王国」という呼称は倭国側ではなく郡使側で用いたもの。男王が治める副都「伊都国」と対比する形で首都をそう呼んだのでしょう。

【伊都国グループ】
漢に朝貢していた倭奴国を1~2世紀に武力制圧したのが伽耶系統の伊都国であり、周辺国や玄界灘の島々も傘下に収め、封建(ないし郡国)体制を敷き、各国の有力者を官に任命し、検察官大率直属の武官ヒナモリを副官に置いて支配したと考えます。
伊都国戸数千余戸はあくまでも納税台帳を元にした生産者戸数であり、非納税者である政治・軍事の要員を別に数万人抱える軍事大国だったのではないかと考えます。

【邪馬台国】
有明海沿岸、山麓の20ヵ国ほどの中小のクニグニから成る連邦的体制。もともと広域で独自に営んでいたクニグニですが、南進する伊都国の軍事・政治的圧力に対抗するため同盟を結び、女王卑弥呼を擁立して邪馬台国を名乗ります。最終的には、女王卑弥呼を倭国連合の象徴的な祭王とし、伊都国王を政王とすることで折り合いを付けたのではないでしょうか。前者は祭祀的権威、後者は政治的権力であり後世のヒメヒコ制、天皇と将軍の二元体制のプロトタイプとなります。ただし後世と異なり、祭祀と政治は不可分であり、馬も無い時代であれば両者は地理的にも近くに居る必要があると思われます。

【投馬国】
伊都国や邪馬台国とは地理的に離れていると思われるので、後から倭国連合に参加したと考えます。出雲国に比定する方が多く、その可能性もありますが、私は後の神武(崇神)東征の中核勢力と捉え、瀬戸内に勢力圏を築くための地勢的アドバンテージを持つ勢力、豊前豊後付近を中核に九州東海岸に連なる連合国を想定します。「豊麻国」と書きたいですね。

作品紹介

【著者紹介】
秋月 渓(本名:上野俊一)●1950年、長崎県対馬市生まれ。少年時代は諫早市・長崎市で過ごす。福岡市にあった九州芸術工科大学画像設計学科を卒業後、外食企業に入社し広告宣伝を担当。
後にコピーライターを志し広告代理店へ転職、その後短大講師、デザイン会社、フリーランス等を経て今日に至る。

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