スサノオの足跡 ①人間スサノオと、部族としてのスサノオ族
スサノオについて、わかるかぎりのことを述べたいと思います。
この神様は記紀においてはイザナギの子供として、天照大御神、月読命とともに生まれてくるのですが、太陽神の象徴とも受け取れるアマテラス、月神の象徴とも受け取れるツクヨミに対して、スサノオは特にどの神様の象徴ということもありません。
いわば、スサノオは最初から人間として登場してきて、後になってから神様に祀り上げられた存在であるようなのです。
・・・だとすると、スサノオこそは記紀に登場する最初の「人間」と言えるかもしれません。
もっとも、古事記においてはスサノオ以前に様々な神様が登場しますが、それらはすべてなにかの象徴、もしくは自然神であり、最初から神様だった存在であり、実在した人間であった可能性は低いと思われます。
同様に、イザナギ・イザナミの夫婦に関しても、これは旧約聖書のアダムとイブの役割を拝借した存在であり、記紀の編纂時に世界中に流布していた「国生み神話」を寄せ集めてダイジェストにしたものではないかと私は考えており、もしこの仮説が当たっていれば、イザナギ、イザナミもまた架空の人物であり、実在が怪しいと思われます。
(注:落合莞爾氏の著書に同趣旨の記述あり。)
実際、記紀ではスサノオは登場してからすぐに高天原で騒動を起こし、様々な乱暴狼藉を働いた上で追放処分を受けた、という記述になっており、最初からすごく人間臭いエピソードが満載で、こういう点からもスサノオは実在した人物だと思われるのです。
記紀の記述にはいろいろと作為的なところが見受けられるのですが、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの「三貴神」については、アマテラスは天皇家の祖神として不可侵の存在だから決して汚してはならないという配慮が感じられ、それゆえ悪行に関するエピソードはなんでも全部スサノオのせいにしておこうという作為があったのではないかと、私には感じられるのです。
またツクヨミに関してはその存在感をできるだけ薄くしようという意図が感じられます。ツクヨミについてのエピソードは記紀においてほとんど語られておらず、具体的な行跡がほぼ見当たらないのですが、調べて行くとこのツクヨミは日本中に膨大な足跡を確認できるのです。
記紀はアマテラスを最高神として位置付けていますので、そのぶんスサノオとツクヨミは割を食って不当評価されている可能性があるのです。
では、実際にスサノオがどのような悪さをしたのか、ということを見て行きましょう。
①イザナギはスサノオに海原を統治するよう命ずるが、スサノオはそれを嫌がって、母イザナギのいる「根の国」に行きたいと言って泣いてばかりいた。イザナギは怒ってスサノオを高天原から追放しようとする。
②スサノオはアマテラスに挨拶しようと高天原を訪れるが、アマテラスはスサノオが襲ってきたと思い、臨戦態勢を敷いてスサノオを詰問する。スサノオは潔白を証明するためにウケヒを提案し、このウケヒは女児が生まれたことでスサノオの勝ちとなる。
③スサノオは勝ちに乗じて田んぼの畔を壊したり、宮殿に糞をまき散らしたりする。アマテラスはスサノオを庇うがスサノオの狼藉は止まず、ある日、アマテラスの服織女の寝殿の天井に穴をあけ、馬の皮を逆剥ぎに剥いでその穴から落とし入れ、驚いた服織女は機織りの道具で身体を突いて死んでしまう。
④それを見て恐怖を感じたアマテラスは天岩戸に閉じこもってしまう。
・・・と、主として日本書紀の記述によるとこのようになりますが、私はこのエピソードには隠された事実があると考えました。 そのいくつかの事実の仮説を提示します。
①スサノオ、ツクヨミ、アマテラスはそれぞれ個人として登場するが、実際には彼らはすべて、部族を率いた軍団の長だったのではないか?
②アマテラス、ツクヨミ、スサノオは兄弟ということになっているが、実際は部族の序列を表しているのではないか?つまりアマテラス、ツクヨミはスサノオより格上で、スサノオ族は客分として天孫族と月読族に迎えられた間柄だった。
③スサノオ族は朝鮮半島北部の騎馬民族が南下してきた騎馬民族であり、北方民族特有の勇猛ではあるが粗暴でもある性格を有していた。このため、比較的おとなしく、戦いを好まない部族であった天孫族や月読族とはしばしば軋轢を生じた。
④イザナギをこの当時の行政長官と仮定すると、スサノオ族はかなり反抗的な味方部族であり、いつ反逆するかわからないようなところがあったので、天孫族は心からそれを恐れていた。
⑤女性の寝殿に馬の皮を剥いで放り込むという記述は、強姦事件を起こしたことの隠喩的表現である。これは当時、スサノオ族の兵士の一人が天孫族の女性を襲って手籠めにしたという事件が高天原で起こったことを暗示している。
⑥アマテラスが天岩戸に閉じこもってしまったというエピソードは、スサノオ族の侵攻に備えて天孫族が籠城作戦を行ったことを示唆している。
…いかがでしょうか? 彼ら三貴神を個人と考えず、氏族ととらえればこういった解釈が可能になります。そして、このように考えた場合、当時の高天原:朝鮮半島南部の伽耶山周辺の政治状況が見えてきます。
彼らはみな土着民族ではなく、流浪の民だったのです。そして、彼らの目指す目的地は日本列島でした。
当時の日本列島にはすでに伊都国や出雲国、熊襲国などの強大な都市国家があり、彼らが日本に進出するためにはこれらの国と折り合いをつける必要がありました。彼らはその機会をうかがっていたのでしょう。
なんとか平和的交渉で日本に進出できないかと考えていたのが天孫族であり、その代表がアマテラスでした。スサノオ族は天孫族より遅れて南朝鮮地方にやってきたため客分として処遇され、伽耶山付近に居住していたと思われるのですが、民族の性格の違いからこのような事件が何度も勃発したものと思われます。
スサノオ族は純朴で粗暴な性格でしたが、戦うと強く、これはその頃あった高句麗という国の民族特性を彷彿とさせます。高句麗も戦いに強く、あの中国の隋という国と4回戦ってすべて勝利し、最後には隋を滅亡に導いたほど強い国でした。
しかし、スサノオ族が単に粗暴で強いだけの民族だったかというとそうでもなくて、のちに出雲国に入った時には八岐大蛇退治という大功績をあげて地元の王から歓迎されて迎えられています。心根の優しい、義侠心も併せ持った部族だったようでもあるのです。
コメント