ジョン・ナックの「禹」から学ぶ
伝説の神人、禹は足を引きずりながら荒れ狂う黄河の治水に十三年かかって成功しました。禹は単なる伝説上の人物と思われていたのですが、西欧のシュリーマンがトロヤを発見して、ホメロスの「イーリアス」が実在していたことと同じように。
1928年、中国の河南省安陽市でいわゆる「殷墟」が発見されて後、1952年に、河南省偃師市で二里頭遺跡が発見され、二里頭文化( 紀元前2100年頃-紀元前1800年頃または紀元前1500年頃)があったことが分かりました。中国の黄河中流から下流を中心に栄えた新石器時代から青銅器時代初期にかけての文化であり、都市や宮殿を築いた。殷初期と考えられる二里岡文化(紀元前1600年-紀元前1400年、河南省鄭州市)に先行するところから伝説の「禹」が創設した夏王朝が実在したと信じられるようになりました。
さらにそれよりもっと以前には揚子江下流域に、浙江省杭州市で1936年に発見されています、所為「良渚文化」(紀元前3500年から紀元前2200年)があります。これは全長7キロに及ぶ巨大な城壁が見つかった。
ただし正確にはどの文明が歴史に記録されている王朝、人物に比定できるかはいまだに決定はないのは事実です。
しかし「禹の再発見」は私たちに一つの大事なことを教えています。
「禹の足を引きずり治水」は川の反乱を治めた文字通り以上の意味があります。それは「五穀」の耕作によって初めて以前の大きな欠点であった稲作単体の耕作では成功出来なかった洪水、日照りの自然災害から克服に成功し、人の暮らしを守った、ということです。
現に単一作物栽培の輝かしき良渚文明は洪水によって消滅しています。
ですから、「五穀豊穣」とは、いわば農業、とくに穀物による本格的な文明の確立を意味しています。昨今の資産投資術のポートフォリオ手法と同じように危険の分散化です。作物はその種別によって栽培法も違えば、強み、弱みも時期も植える場所も違います。ですから多品種の同時栽培によって食料がバランスよく貯蔵でき、富が創出でき、余剰が生まれ、ここから「栄える」ことが始まって来るのです。損失からの超越、環境を押さえる。新たな人類の歴史の始まりです。
二里頭文明は良渚文明の失敗・弱点から学んだのです。
もう一つのことは禹が足を引きずるまで酷使して民衆の生存に資する情報を集めていったという利他精神の大切さです。昨今の日本人が欠如しつつある本来の日本人の学習意欲の低下、並びに利他精神の貧弱さを改めて考えなくてはならないでしょう。
そうして日本の今日的課題の製造業のコモディティ化の問題がありますが、このコモディティ(均一化)は、人間の生活、思考様式に至るまで、浸透しています。文明の陳腐化です。次の文明に移行させる脱出口は禹の足引きずりの物語から見いだせそうです。(次回は日本における二里頭文明の痕跡について考えたいと思います。)
ジョン・ナックの『歴史思想書』より
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