“天の封書”を開くとき  (山下保さんのエッセイ)

山下保さん稿

忘れていた記憶を、思い起こす…
〜”天の封書”を開くとき〜

その蝿は、忽然として、そこにいた。
自宅浴室のタイルの上に、重たく濡れた翅と身体を休めるかのように震えながら、前触れもなく、突然私の視界に飛び込んで来たのである。

私は、特段、自らを博愛主義者ではないと思っている。ゴキブリを見たら丸めた新聞紙を握って追いかけ、叩き潰す。
夕食中に、灯りに惹かれた羽蟻が、窓から多数翔んで来て侵入を図った際には、おもむろに窓を閉めて、テーブルの上に這う彼等を、摘み上げては捻り潰す。
平気で殺生を行使する、極めて冷酷な人間である。

しかしその時は、なんの気まぐれか、芥川龍之介著作の小説「蜘蛛の糸」の件のシーンが僕の脳裏に浮かび上がった。
どういう思考の巡りがあったか、よくわからないのだが、、、その蝿の姿に、生きることにもがいている、未来の自分を重ね合わせててしまったのである。

助ける(摘み上げて、外に放す)か?

その時、私の脳裏に、幼い頃の苦い記憶がよみがえった。
それは、僕が小学4年生の頃だったと思う、
農村地域であった実家近くの、大型ビニルハウスの側で、(飼っていたウサギにエサを与えようと、レンゲソウなどの野草を刈りに行った時のことだが…)2〜3層になったビニールの間に挟まれてもがいている、小さなミツバチの姿がふと目に留まったのだ。当時から純粋な?ココロの持ち主であった僕は、「えっ?、どうやってこんな隙間に潜り込んだの?」、「あぁ、このままでは死んでしまうじゃないか!」と、何だか心が落ち着かなくなり、居ても立っても居られず、重なり合ったビニルをそっと引き離して彼(ミツバチ)を助け出そうと指先で摘んだ。その瞬間、指先に痛烈な痛みが走って、その右手を跳ね上げたのだ。、、、そのいのちを助けようと、彼に自由を与えようと、自分なりに手を尽くしたつもりだったが、そのミツバチ🐝は、僕の指先をチクリと刺して、そのまま死んでしまった。(社会的生命組織体である蜜蜂の一刺しは、個としてはそのまま絶命に繋がる)
地表に転がるミツバチの屍を見つめながら、
後には、ジンジンと痛む哀しい指先と、苦い感情の余韻が(10歳の僕のココロの内に)残ったのであった。

ヨボヨボと歩き、やがてじっと佇む蝿の姿を見つめる僕の脳内に、「天上天下唯我独尊」との声が聴こえた。

“認知症”を患うお年寄りの日々の生活に寄り添う手段として、”ナラティブアプローチ”というセラピー術,コミュニケーションの技術がある。ナラティブとはストーリーや物語という意味を持つ言葉である。J.S.ブルーナーは心理学の研究において、人々が経験から見出す「意味」の重要性を提起し、「意味」をつくりだす源として「物語」を位置づけた。
一般に患者や相談者等の相手を理解,受容する上で、その方の主観(物語)を含めた全体性を重視するアプローチと言える。
しかしながら、僕は、何も、”認知症”などを煩う”患者”に限定されず、いわゆる”健常”と自らを認識している方々も含めて、すべての
私たちは、各々固有の”物語り”の世界(自己の心の内なる世界)を生きているのだ、と思っている。人間だけではない、虫も草花も、この地球🌏に代表される宇宙の星々も、地上界に生息するすべての生命体が、”タダワレヒトリ”の存在であり、それぞれに”尊き”価値を有する、大宇宙の意向を持って備えられた、対象物(者)なのだ、と思っている。それぞれが、懸命に、”天からの封書”に記されている自身の使命、”ナゼワタシハ、ココニイルノカ?”の意味を探らんと求めつつ、無意識化の内に、”銀河鉄道の夜の旅”を続けているのだろう、と考えている。
歴史上の聖人,先哲の言葉に導かれて、遂に、その光の封書(自然の法、宇宙の真理)に気付いていく者もいれば、今生の人生にあって最後まで封書を開かず仕舞いの者も少なからず、これまでの歴史の中に現れてきたのではないか?という思念が浮かぶのである。

現実世界に立ち還り、改めて目の前の、重たく濡れた翅を引き摺り、弱っている蝿の姿を凝視した。このままでは、シャワー 水に溺れながら、排水口に流されて闇の向こうへと消えていくことは確実であろう。
私は、おもむろに、その蝿の濡れた身体(ボディ)を、ペーパータオルの端を使って拾い上げ、ベランダのミニトマト用プランターの土の上に、そっと置い(てさしあげ)たのである。運が良ければ、濡れた翅が乾いて、外界へ飛び立っていくのだろう、と…

半刻が経過して、またベランダに出、プランターの土面を見に行ってみた。
しかし、蝿は骸になって、その場に静かに横たわっていた。彼は、土に還ったのである。この蝿は、僕に、慈悲心を思い起こさせる為に、彼自身の自らの”天の封書”を開示して、
今この場に、私の眼前に、現れてくれたのかもしれないな、とぼんやり思った。

◇語彙説明

『ナラティブアプローチ』とは⇨

ナラティブ・アプローチ : JCDA(自分のための勉強用)
ナラティブ・アプローチ1.理論の概要ナラティブ・アプローチとは、ナラティブ(narrative)という概念を手がかりにしてさまざまな現象に迫る方法の総称である。通常、ナラティブは、「語り」または「物語」と訳されることが多く、そこには「語る」という行為と、「語られたもの」とい

この作品は、日々心に秘められた少しだけこだわりのご自身の姿から、何気なくふと沸きだされた風景画として秀でたエッセイです。

 誰もが山下さんと同じ感慨をもたれたことがおありだと思います。

 その思いを積極的に言語化されておられるご努力が滲み出されておられます。

 兄の目指されておられる先の見通しに目が離せません。続く今後の作品を心よりご期待いたします。

Yi Yin記

 

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