『六韜三略』から未来を見る

日本文明の行方
藤原(中臣)の鎌足。

『六韜三略』から未来を見る

イギリスの歴史学者エドワード・ハレット・カーの 『歴史とは何か』で述べられた、「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」というフレーズは、僕の大事な座右の銘の一つでもあります。
 もうひとつの僕の歴史的思考法は『~とは「私」にとってどう意味があるのか』という問いかたです。この「私」の部分を、「社会」、「日本」、「世界」、「人類史」、「人類の未来」と連環させて行くのも可能です。要するに「意味論」です。諸価値の中でも「意味」がその核心となります。
 数ある兵法書の中で、太公望呂尚がしたためたとされる、『六韜三略』というものがあります。中国古代史の明媚な歴史の転換の物語に、マンガの『封神演義』、『殷周伝説』に活躍する革命家呂尚の言辞とされております。長らく偽書と疑われてきましたが、1972年の発掘により、前漢の紀元前2世紀にはすでに流布していたことがわかりました。このことから、中国戦国時代には成立していた可能性があります。それゆえ、あの秦を倒し、宿敵項羽に圧勝した軍師張良が用いた戦法もそうであったと頷きます。

太公望呂尚。
源の義経。


 
 中国古代史の小説家、宮城谷昌光のリアルな描写の背後に見え隠れする系譜には、只今fbの絶賛投稿中の佐藤達矢氏の開明的持論、「中国春秋戦国は日本古代史に直結している」という大慧眼を思い起こさせます。宮城谷昌光の『太公望』の中に、「夏を倒した人物」として伊尹摯を暗示させる文脈があります。彼をして伊尹に倣おうとした瞬間だったのです。

北条早雲。

 特色の一つとして、『孫子』では小勢で大勢と戦うことを良しとはしないのに反して、『六韜』では少数を説く部分が見られ、戦闘姿勢の考えが違うということです。いわば、その系譜から、乙巳の変の立役者中臣鎌足が暗唱するほど読み込んでいたといいます。源義経が陰陽術師の鬼一法眼から譲り受けたといいます。三略については、北条早雲は、「夫れ主将の法は、務めて英雄の心を攬(と)り、有功を賞禄し、志を衆に通ず」という冒頭の一句を聞いて、兵法の極意を悟ったと言われております。

 そういう風に読んでいきますと、
 ひとつ、新たな時代、夏から殷、殷から周、秦から漢、古代から律令、平安から鎌倉、室町から戦国。という時代の転換軸に『六韜三略』が大いに関わっていると思うのは僕一人なのでしょうか?
 もうひとつ、未来を見据えて、下降文明らしき日本のこれからの展望にもこれを用いたら結構効力があるのではと、一人ごとを言っております。

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