高良玉垂宮神秘書 訳文 第六章(大須賀あきら 稿)

大須賀あきら 稿

高良玉垂宮神秘書 訳文 第六章

大臣は干珠 満珠を借りている間 藤拝かかる下で定める間 その名線を取り藤大臣といい 嫡男表筒男をどうするかと言うと 皇后は「天照大神の日孫なので玄孫大臣物部大連とすればよい。」と云った。玄孫大臣と書き玄孫の大臣と読む、皇后 高良に来てしばらくして御子が何人か生まれた。
四人は仲哀天皇の皇子 五人は高良大井の皇子である。先の四人と後の五人を合わせて九躰皇子という。
皇代十七代仁徳天皇の時、皇后は崩御された。高良明神 豊姫 玄孫大臣 その子大祝日徃 武内大臣 皇宮を出られた。

武内大臣は因幡国立草の郡の辺に靴を脱ぎ棄て衣を木の枝に掛け山の奥に入って行った。残り四人は皇宮よりはるばる行き 豊姫 玄孫大臣は肥前国に留まり 姫は河上大明神となられた。
高良大明神 大祝日徃子は 九月十三日に山に還り 皇宮で三種の神器を納め、神壐は高良大明神が預かり 宝剣は神功皇后 内侍は玄孫大臣が預かった。

大祝 本名鏡山という 大祝は職について名 秘すべし皇代四十代天武天皇の時、大祝道麻呂男子美濃理麻呂に御託宣があり斗藪のひく密かに来て 天下の万法は遂に仏海に帰する 当社の明神は仁王経の文の如くを持って御法心有 大祝に大明神から大井御垂迹を束帯を付いた。高良明神から高良大井と名を変えて 異国征伐の時 干珠 満珠で国土を治められる。また皇宮で神璽を持っている間 鳥居玉垂宮と打ち 大祝家の鳥居は大祝大明神第一位と打つ。 大祝家は高良に御遷幸以来今までに並ぶ家が無かった。
高良大井の御紀文にも五姓をおさめること神部物部が為である。天神七代 地神五代よりこのかた、大祝の系図定まった。

解説
ここで住吉三神の紹介の文があり 底筒男 阿部保蓮(物部保蓮 藤大臣)は前も天皇(開化)であり神壐を預かり 妻も神功皇后は宝剣を預かった。表筒男は 姓は鏡山 天照大神の曾孫なので玄孫大臣物部大連 内侍を預かった 皇宮で子が九人生まれ四人は仲哀の子 五人は高良の子とされた。

そして仁徳天皇の時代に神功皇后は九州で崩御しその後 開化 豊姫 玄孫大臣 その子大祝日徃 武内大臣 は皇宮を出て豊姫 藤大臣は高良玉垂宮 玄孫大臣 は與止日女神社 武内大臣は因幡で消息不明になったと記されている。

驚くべきは仲哀天皇 開化天皇 崇神天皇は同時代の人間であると記している。

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