安曇(あずみ)の館にて

上野俊一稿

「ふーっ、疲れた」
 角鹿から戻ったアズミのむらじ和白わじろの館に着くと、汗と塩砂を拭って大の字になった。
「お帰りなさい。オキナガの大将どうでした? 怒ってました?」
 伊都からイトテの頭領の息子ワカが、風を学びに来ている。
「まあね。鉄はこれっぽちか?って、タタラ川の水舐めたような顔をしやがった」
「鉄の水を舐めたような……うぷ、そりゃ渋いや」
 ムラジはむくりとカラダを起こした。
「笑い事じゃないぞ、ワカよ。伽耶かやの鉄がこのまま先細りだと、契約を切られるかもしれんぞ」
「伽耶の鉄穴かんなは、新羅の兵に脅されて、閉めたり盗られたり、困ったもんですね」
「あのなワカ……新羅から逃げて来たお前らイトテを厚遇して、あちこち売り込んできたのは、倭国でも鉄はできる、山を見れば分かるって言うから」
「分かってますって。我々のご先祖イソタケル様、倭国じゃアメノヒボコとかニギハヤヒとか呼ばれてましたっけ? そのお子達も含め鉱山開発どころか、治水や植林まで、結構お役に立ってきたはずですよ?」

「ん? ま、まあな」
 確かに対馬の寒村の頭領に過ぎなかったアズミが、海人族ディベロッパーの雄として名を挙げ、財を成した背景には、卓抜した技術力を持つゼネコン・イトテの存在があった。ヤマトに顔の利くオキナガ財閥が出資したのも、その将来性を認めたからだ。
「ヒボコ殿だったかニギハヤヒ様だったか、出石の暴れ川の円山川まるやまがわで瀬戸水門を拓いて、村を水害から守った話はワシも聞いたことがある。そのお子達と言えば、タカクラジ様とウマシマジ様か……ヤマトに都ができた頃の話だな、よくは知らん」
「その後ヤマトのご命令でタカクラジ様は北へ、ウマシマジ様は西へ土蜘蛛退治つちぐもたいじにいかれました。そしてその地に骨を埋められたそうです」
「都へは戻されなかったのか、お気の毒に……」

 しばらくの静寂を、ワカが笑い声で破った。
「と、思うでしょ。ところが」
 声をひそめて続ける。
「タカクラジ様は越で銅山を、ウマシマジ様は石見で金山銀山を見つけられたんです! これ、ヤマトには内緒ですよ」
「なんと。まるでタカラクジ♪に当たってマジウマシ♪な話やないの」
「イトテの山師仲間は今も全国で金目の山を探してます。射楯いたてとか伊達いだてとかの地名はそういった場所ですよ」
「なるほど……そんなら倭国でも鉄造りはできるやろ?できんのか?」
 問い質すムラジは真顔に戻ってた。
「それが、鉄はあちこちで採れはするんですが、量と質がまだまだ。やはり当分は伽耶の鉄を頼まないと」

「実はな、新羅と一戦交えることになったよ」
 天井を見つめたままムラジが口を開いた。
(戯れ言か?)
 ワカは真意を測りかねて次の言葉を待った。
「伽耶の鉄を取り戻すにはそれしかあるまい。なに、心配するな。筑紫一国でやろうってんじゃない。オキナガがバックアップを約束してくれた。彼らにとっても鉄は生命線だし、もとは彼らも筑紫の物部、同族だ」
 聞きながらワカは震えを覚えた。が、それは恐れからだけではなかった。伝え聞くイソタケルの故郷、伊西国いそこくを見たい、見れるかも知れないと思ったのだ。
「問題はヤマトが協力するかどうか。奴らはいまだに筑紫を恐れとる。我々が武力を蓄えて何時牙を剥くかと疑心暗鬼だ。むしろ筑紫と新羅が戦って共倒れする方を望むかも知れん。奴らを巻き込む良い手は無いものか……」

「お上、筑紫の者どもが助けを求めております。熊襲というまつろわぬやからが増長し、もはや手に負えぬとのこと。ぜひヤマトにご加勢いただきたいと」
 オキナガの入り婿ヒコイマスがそう奏上した。
「うむ、筑紫もようやく我らに降るか」
 大王は大きく頷き、後事をヒコイマスに任せた。

「ワカ、喜べ。お前の言ったとおりだ。ヤマトが動いた」
 再び角鹿までを往復し、ムラジは笑顔で戻って来た。
「後の算段は任しとけ。熊襲くまその後ろに新羅がおるとヤマトに思わせればこっちのもんだ。奴らのフンドシを借りて大勝負できる。しかもだ、驚くな。この計画の裏のリーダーはな」
ムラジは土師器はじきに酒を注ぐとワカにグイと突き出し、目を見開いて言った。
「オキナガの娘で皇后、息長帯姫様おきながたらしひめだ」
(その名は識っている。我々と同じイソタケルを祖とする姫だ)
ワカは再び震える。震える手で土師器を受け取ると、目を瞑り、一気に飲み干した。

※タイトル写真:鉄鋌(てってい)。交易に使われた鉄のインゴッド

コメント

  1. yasukazusasame より:

    著者からのコメント

    アズミとイトテ
    ……………………………………………………………………
    アズミは安曇か阿曇、イトテは五十迹手と書く。前者は対馬海峡を舞台に交易を生業とした海人族、後者は製鉄や土木技術を持つ渡来系の一族とみられている。いずれも古代筑紫の豪族だが、その名は形を変え、土地や神社の名前として全国各地にその痕跡が残る。それはいったいどういうこと?
    趣味としての古代史の面白さは、ボクの場合、こうした「ナゾ」を解くことにある。あれこれ思い巡らすうちに、バラバラだった出来事が不意につながるムフッとした瞬間が楽しいのだ。
    アズミとイトテが特に活躍するのは特に日本書紀の神功紀。あるいは彼らは、ディベロッパーとゼネコンのタッグだったのかも知れない、との仮説をラノベ風に描いてみた。

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