トヨスキイリヒメはトヨである(上野俊一 稿)

上野俊一稿

【トヨスキイリヒメはトヨである】

丹後と近江には『羽衣伝説』がある。
それは或る天女が、水浴びしている間に羽衣を盗まれ天に帰れなくなる話。
丹後国風土記では、仕方なく盗んだ老夫婦の娘となり、老夫婦は裕福となるが、やがて天女は追い出され放浪の旅に出る。
近江国風土記では、同様に盗んだ男と暮らし子を成すが、羽衣を見つけ出し、一人で天に帰る。愛し子はしかし置いて行かざるを得なかった。
────「日よ、西から昇れ(下)」より

さて、古代妄想にはもってこいの逸話である。
思うにこの伝説は、大倭を追われた豊鍬入姫命(その正体はヒミコの後継者トヨ)の人生を哀れんだ民の間で生まれたものではないか?

■ニギハヤヒはトヨに屈した
トヨは、3世紀後半の崇神ミマキイリヒコ(神武のWキャスト)東征にあたって、瀬戸内諸国糾合するため、天照大神(実は親魏倭王ヒミコを神格化した存在)直系の正当な祭祀者として神輿に担がれたのだ。担いだのは天孫の外戚、高御産巣日を祖とする一族である(倭国連合の一員であった投馬国、九州の東海岸をまだらに繋ぐ勢力とみる)。
中つ国を治めていたニギハヤヒは、彼ら東征軍にその地を明け渡す。なぜか? ナガスネヒコの奮戦で緒戦は優位にあったはずである。同族だったとしてもニギハヤヒは血筋からみても東征軍の首領達と大差ない。侵略者の一方的な要求をなぜ呑んだのか?
考えられる理由は、その勢力の旗印がトヨ、天照大神直系の後継者、つまり錦の御旗だったからだ。

■天照大神祭祀者トヨの排除
さてニギハヤヒが退き、大倭建国が成った。トヨはミマキイリヒコの養女トヨスキイリヒメとして天照大神の祭祀に専念する。しばらくは順調だったものの、しかし五年後に発生した疫病の蔓延で政権は崩壊の危機を迎える。その原因を巡って祭祀は混乱し、トヨもそれを止められなかったことを咎められ、最終的に宮中から排除される。そしてその座はヤマトトトイモモソヒメに奪われるが、同時期に他の諸神も宮中から排除されたことを見れば、ミマキイリヒコとモモソによる計画的な権力簒奪の策謀の臭いがしないでもない。そしておそらくこれを契機に皇祖神は天照大神から高御産巣日神に置き換えられたのだ。(天照大神が皇祖に復帰するのは壬申の乱以降)
さらに四道将軍が派遣され、予言や讒言によって政権の障害になりそうな勢力も予防的に排除されていく。

■豊受大神はトヨスキイリヒメか
トヨスキイリヒメは天照大神の安住の地を求め行脚する。御幸と言う名の放浪。表向きは各地に天照大神を祀る仮宮を建て、政権とその皇祖への帰依を勧めるような仕事だったのだろう。
その仕事はトヨスキイリヒメから垂仁イクメイリヒコの娘ヤマトヒメに受け継がれ、ようやく伊勢に安住の地を得る。
各地に建てられた仮宮は元伊勢と呼ばれるが、その中で最も格式が高いのは丹波の真名井の社、現在の籠神社。雄略期に伊勢神宮の天照大神の託宣により、真名井に共に祀られていた豊受大神、おそらくはトヨスキイリヒメの御魂を外宮に迎える。この二柱を離れ離れにしてはおけないという悔恨、あるいは畏れが言い伝えとともにあったのかもしれない。託宣の内容は外宮の社伝によれば「一人で食事をするのは寂しい」と言うほほえましく、どこか切ないものだった。

■ニギハヤヒとトヨの行方
『羽衣伝説』に戻ろう。
羽衣を盗まれ天に帰れなくなった天女はその後どうなったか。
「丹後国風土記では、仕方なく盗んだ老夫婦の娘となり、老夫婦は裕福となるが、やがて天女は追い出され放浪の旅に出る」
仮に天女がトヨスキイリヒメだとすれば、老夫婦は誰を指すのか、言うまでも無いだろう。
「近江国風土記では、同様に盗んだ男と暮らし子を成すが、羽衣を見つけ出し、一人で天に帰る。愛し子はしかし置いて行かざるを得なかった」
私は「盗んだ男」に籠神社に祀られるニギハヤヒ(ホアカリ)をあてたい。大倭建国後の彼の動向は定かではないが、丹波には彼に伝わる伝承がある。法庭(のりば)神社の旧記に、彼が大倭から兵を率いて瀬戸水門を拓き、出石郡円山川の治水を行ったとある。(垂仁期のアメノヒボコ?)
出石と真名井は直線距離で33㎞、二人が一緒に過ごした束の間の幸せを夢想するのは私の感傷だろうか。
しかし二人が近づくのを何より恐れた人物がいるはずである。
「奴らが手を握り、出雲や筑紫がそれに加われば……」
大倭に災いをもたらすと見做された者達の運命は、言いたくも無い。

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