ウズヒコはトリカブトを使った?

上野俊一稿

ウズヒコはトリカブトを使った?

ウズヒコは記紀では神武東征軍の水先案内人として登場する。椎の棹を差し伸べ御船に引き入れ名を珍彦(うづひこ)から椎根津彦に改めさせた、とある。

彼は奈良盆地東の宇陀の戦いでは不思議な命令を受ける。投降し味方となった弟ウカシと共に老夫婦に変装して天香久山の土を採ってくるのだ。天皇はその土で土器と甕を作り呪いを掛け水無飴を作る。さらにその甕を川に沈め、魚が皆浮き上がったのを見て吉兆とした。その勢いで遂にヤソタケルを破るのである。

このエピソードは一般的に「戦勝祈願の神事」と解釈されているが、私は「トリカブトを使った戦況打開作戦」と推理する。

【宇陀は薬草の名産地】
宇陀と言えば古代から薬草の産地である。椎根津彦たちが掘ってきたのはおそらく土の着いたままのトリカブトの根であろう。地元の弟ウカシであれば自生場所を知っているはず。毒を抽出するのに酒を用いたとすれば甘い匂いもうなづける。甕を川に沈めると魚が皆浮き上がったというならますます怪しい。

【ウズと椎根にカギ】
彼の名前にも注目。「ウズ」は烏頭と書けばトリカブトのこと。また「椎の根」と言えば霊芝が生えることで知られる。おそらく彼は薬草の専門家だ。

※私の小説「日よ、西から昇れ(上巻)」では、次のように描いてみた。

ほどなく密命を帯びた二人──弟ウカシと椎根津彦が出発した。だが蓑笠を身に着け、籠を背負ってトボトボと歩くその格好はまさに、笑える位良くできた老夫婦であった。

山はやはり八咫烏のものである。鳥の声を真似た合図で連携し敵を撹乱した。俄に集められたヤソタケルの兵はちりぢりに分断され、ある群は東征軍が潜む場所に誘い込まれ、またある群は崖に追い詰められ、三昼夜の内に壊滅した。
山を制圧した知らせが本隊に届いた頃、件の老夫婦も戻ってきた。椎根津彦の翁が、ニタリと笑って背中の籠を置いた。中になにやら泥の付いた草が詰まっている。
敵地の真っ只中にある群生地の山から、根っこごと掘り出して来たトリカブトであった。

「何か旨いものでも喰わしてくれるんかのう?」
待機の命令を受けた兵士達は、干飯や木の実をかじっていたが腹の足しにもならない。それより一昼夜も煮込んでいる大甕の中身が気になってしかたがない。

「しかし、あれじゃ煮詰まってしまうぞ」
「元気づけの水無飴では無いか? 酒のような甘い匂いがしたと言うぞ」

数日後、五十瓊殖は兵に申し渡し、水を竹筒に確保させた上で、丸一日、川の水を飲むことを禁じた。そして例の大甕を川辺に運び中の液を流した。飴を期待していた兵士達は失望したが、魚が暴れ出し浮いたのを見て、意図を理解した者は興奮した。

下流にはヤソタケルの本隊がいる。流れてくる大量の浮き上がった魚に気付いて、一人の兵が嘔吐した。恐怖が連鎖した。飯炊きに使った水は、水筒の水は、さっき飲んだ水は大丈夫なのか?
目眩や痺れを訴える者が出る。兵が浮き足立った頃に東征軍が襲いかかった。もはや敵ではなかった。

東征軍は、逃げる背中に夢中で矢を射かけ、それを拾ってまた射かけ、気がついたときには視界が開けて、中つ国に入っていた。

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