忘れられた花叢(かそう)ーパシオン帯とクロノ・ブルーム前史

ミーターの大冒険

SF小説 忘れられた花叢(かそう)ーパシオン帯とクロノ・ブルーム前史


ミウォールの地下都市は、時間そのものが堆積した空間だった。
崩落した天蓋の下、黒い石材に刻まれた不可解な螺旋と分岐の紋様が、かつてここが単なる居住区ではなかったことを雄弁に物語っている。ミーターは瓦礫を避けながら、静かに歩を進めていた。音は吸い取られ、彼の足音すら途中で消えていく。
「――ここです」
空間の中心で、淡い光が幾何学的に組み上がった。
銀河百科辞典編纂図書館の中枢AI、イルミナのホログラフである。
「地下都市第三層、記録保管区画最深部。
あなたに対する開示制限が、今解除されました」
ミーターは立ち止まり、視線を巡らせた。
「ミウォールに、こんな場所が残っていたとはな。
連邦期の遺構じゃない……もっと古い」
「ええ。
これは連邦以前、さらに言えば――“銀河史が体系化される以前”の層です」
イルミナの声は淡々としていたが、その内容は鋭かった。
「あなたがこれまで学んできたクロノ・ブルーム理論。
その成立以前の、前史にあたります」
その言葉に、ミーターの演算系が一瞬だけ遅延した。
「前史……?」
宙に展開された星図が、次の瞬間、地下空間を満たす。
はくちょう座方向、銀河面に沿って伸びる暗い帯域。
その内部に、異様なほど静かな恒星群が浮かび上がった。
「パシオン帯」
ミーターが、記憶領域を検索しながら呟く。
「……理論上の空白域だ。
クロノ・ブルーム理論でも、“歴史の花叢が形成されにくい静域”として仮説扱いされている」
「その仮説は、観測されていました」
イルミナは即座に応じた。
「しかも、極めて早い時期に」
映像が切り替わる。
広い海に囲まれた列島世界。荒れ狂う空、周期的に走る放射線嵐。
「惑星エアルト。
その列島世界ニドを起源とする人類集団――ナックセル人です」
ミーターは視線を細めた。
「放射線嵐……
だから、あれほど精密な環境予測技術を?」
「はい。
彼らは“生き延びるために未来を読む”必要がありました。
その結果、時間の分岐を単なる統計ではなく、構造として捉える思考体系を発展させたのです」
「……クロノ・ブルーム理論の原型、か」
「正確には、クロノ・ブルーム“以前”です」
イルミナは訂正する。
「彼らは、歴史が分岐し、咲き、やがて散る“花叢”そのものが、宇宙環境に依存していることに気づきました。
そして――花がほとんど咲かない場所が存在することも」
星図の暗帯が強調される。
「パシオン帯。
暗黒物質フィラメントと巨大磁場が重なり、高エネルギー放射線が遮断される領域。
ここでは、歴史的分岐が急激に減衰します」
ミーターは、思わず一歩前に出た。
「分岐が……減る?」
「選択は存在します。
しかし、その結果が暴走しない。
クロノ・ブルーム理論で言えば、花叢が密にならず、剪定を必要としない状態です」
沈黙が落ちた。
「……だから、彼らはそこを選んだ」
「ええ。
西暦16800年頃、ナックセル人はこの帯域内の惑星ナックセルへ移住を開始しました」
ミーターの内部で、別の年代が弾き出される。
「16800年……
それは、エアルトが――」
「はい」
イルミナの声が、わずかに低くなる。
「西暦16000年頃。
惑星エアルトは不可逆的な放射能汚染段階に入りました」
映像が切り替わり、荒廃した惑星表層が一瞬だけ映る。
「その混乱の中で、エアルトを離脱した人類集団が存在します。
アメリア人を中心とする移民群です」
ミーターは、はっきりと驚愕を示した。
「……まさか、偶然じゃないのか」
「偶然ではありません」
イルミナは静かに続ける。
「ナックセル人は、クロノ・ブルームの流れからエアルト文明の崩壊を予測していました。
そして、パシオン帯内にもう一つの惑星を準備していたのです」
新たな惑星像が浮かび上がる。
穏やかな海、安定した気候。
「惑星コンパッション。
人類居住適性が極めて高く、歴史的干渉を最小限に抑えられる世界」
「彼らは……救ったのか?」
「いいえ」
イルミナは首を振る仕草を模した。
「救済ではありません。
“花を残した”のです」
ミーターの視線が、惑星像に固定される。
「歴史を、咲かせ続けるために?」
「断絶させないために、です。
ナックセル人は介入者になることを拒みました。
彼らはクロノ・ブルーム理論が示す最大の禁忌――
“未来を固定すること”を避けた」
ミーターは、ゆっくりと息を吐いた。
「……じゃあ、俺たちが学んできたクロノ・ブルーム理論は」
「後世によって体系化されたものです」
イルミナは告げる。
「パシオン帯で、すでに“実践”されていた思想を、理論として再構成したにすぎません」
地下都市の闇が、重くのしかかる。
「パシオン帯は、忘れられた揺り籠。
歴史が崩壊しても、花叢そのものを保存するための空間」
ミーターは、静かに笑った。
「……驚いたな。
俺たちは、理論を作っていたつもりで、
ずっと“後追い”だったわけか」
イルミナの光が、わずかに強まる。
「だから、あなたに知らせました。
次にクロノ・ブルームの流れを“読む側”ではなく、
“触れる側”に立つのは――あなたです」
地下都市は、再び沈黙に包まれた。
ミーターは初めて、歴史が落下する音を、はっきりと感じていた。

参考資料

エアルト=旧地球ポジション
ニド=エアルト内の列島文明
アメリア人=エアルト脱出民
パシオン帯=歴史保存空間
クロノ・ブルーム理論=心理歴史学の上位概念
が完全に噛み合っています。

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