日本人のルーツを変える「渡来人」像

歴史考

日本人のルーツを変える「渡来人」像

武光誠(歴史学者)

 広辞苑は「渡来人」を「古代、国や中国などから渡来し、日本列島に定住した人々とその後裔」と定義しています。そして「農業をはじめとした先進の技術、様々な文化をもたらし、政治・文化の進展に大きく寄与した」と説明しています。従来は、このような記述から、渡来人は少数のエリート集団であったというイメージが広く持たれてきました。

 しかし、最新の考古学とDNA解析の成果は、この固定観念を大きく覆しています。古墳時代の人骨調査や遺伝子研究によれば、5~7世紀において、史書に名を残す豪族だけでなく、多くの無名の人々が海を渡り、日本列島に定住していました。推計では、その数は130万~140万人に達し、古墳時代末期には総人口の約4分の1を占めていた可能性があります。もはや渡来人は単なる外国人ではなく、日本人の祖先そのものであったと言えます。

 この視点に立つと、「渡来人」という言葉は現代感覚にはそぐわないと考えます。日本人とは、古来より多様な起源を持つ人々が混ざり合い、共に社会を築き上げてきた存在なのです。

 現代日本を見ても、2024年時点で定住外国人は約367万人、総人口のわずか3%にすぎません。少子高齢化による人口減少は止まらず、年間90万人以上が減っている現状では、外国からの移住者が社会や経済を支える重要な担い手となっています。しかし、その比率は先進国平均の10%にも届いていません。

 それにもかかわらず、外国人増加に不安を抱く人が少なくないのは、「単一民族神話」や「同質社会神話」が長く信じられてきた歴史が影響していると考えられます。けれども、最新科学は、日本人のルーツがそもそも多様であったことを明らかにしています。

 古代の日本社会は、外から来た人々と共に暮らし、共に文化や政治を発展させてきました。そうした歴史的事実を直視することは、現代においても大切です。人口減少の穴を埋めるためだけでなく、多様な人材が力を発揮できる社会をつくるためにも、私たちは過去から学び、外国人と共生できる未来を描くべきです。

追記
 ただ、もう少しだけこの論をYi Yin風に深掘りしてみたいと思います。哲学者ヘーゲルの主張を待つまでもなく、キリスト教神学の基本構造神の「三一(さんいつ)」思想は、多様性における統一性の指向なのですが、その「一(いつ)」の根本を尋ねれば、わが列島におけるホモ・サピエンス漂着は、約4万年前だと言われています。それは最初の定住民は原初日本人(日本祖人とも言われる)であって、単一の遺伝子配列のグループであったという点であり、それがやがて、おおよそ1万6千年前に所為「縄文」という「文化」を形成して来たわけです。それがおおよそ、3千年前あたりから西遼河文化やそれに続く稲作文化が入って来て、同時に様々なハプログループが
入ってきたわけです。これを民族の融合の始まりというえますが、言い換えれば、前民族による緩やかな「受容」と捉えることが言えないでしょうか!
この所為三一指向は、本来の原初日本人の気質の、「相手の立場」で物事を観る、という存在基底からのものでしょう。
ゆえに後の日本文化を規定する原理は、おおよそ縄文後期に既に形成されていったと言えます。ひとは、その遠因に、本来備わっているヤップ遺伝子のせいとも言ってます。
ですから思想史、文化史的にみても、文化と生活(民俗)における多様性と重層性を指摘できます。
神論から観ても、造化三神が基本で、それが継承されて、アマテラス神、スサノオ神、ツクヨミ神などはその反映として考えられます。
概して、新たに歴史を通して外来文化を吸収し、咀嚼、再構成までの一貫作用が備わって来ました。
ですから、その得意的こそ、又、チャレンジする機会は限りのないものでしょう。

キーワード
多様性、文化融合、渡来人、縄文、遺伝子、稲作、造化三神、三位一体、調和

Yi Yin

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