蘇我氏の正体⑤ 蘇我家歴代当主の名前はすべて本名ではない(佐藤達矢 稿)

佐藤達矢稿

蘇我氏の正体⑤ 蘇我家歴代当主の名前はすべて本名ではない

蘇我氏初代と思われる蘇我石川宿禰から、満智、韓子、高麗、稲目、馬子、蝦夷、入鹿と続く当主たちの名前。これらはすべて本名ではなく、記紀によって作られた名前であるとしたら、皆様は非常に驚かれるのではないでしょうか?

私たちは一人の人物を、立場や状況に応じてさまざまな呼称で呼びます。会社であれば「課長」とか「社長」などと役職名で呼ぶことが多いですが、石川宿禰の場合はそれにあたり、石川という地名の土地に住んでいたためにこの名で呼ばれたもので、本名ではなく職掌で呼ばれています。

石川宿禰の次の満智については不明ながら、問題はその次の韓子です。

当時、日本の男と朝鮮半島の女性の間に出来た子供は「韓子」と呼ばれたようです。
この名前がそのまま個人名として使われていること自体に、私は記紀の悪意を感じます。

本人にはもっと立派な本名があったはずですが、あえてそれは使わず、韓子という名前だけ残していることに、蘇我氏を貶めんとする作為を感じるのです。

この韓子は新羅遠征軍の大将の一人だった人物で、軍功もあり、決して凡庸な人物ではありません。生きているうちには韓子などという言葉では絶対に呼ばれなかったはずです。

次の高麗もまた同様に、高句麗方面に母親の出自があることを示していると思われる名前ですが、こんな名前を親が子供につけるはずがない、と私には思えます。

二代飛んで蝦夷もそう。これも異民族が母親ですよ、と言わんばかりの名前で、すでに大臣としてヤマト王権の中枢に君臨していた人物が名乗る名前ではありません。

そして、馬子と入鹿に至っては、二人合わせて「馬鹿」となるところに御注目ください。

日本書紀の作者が意図的にこのような侮蔑に満ちた名前を捏造し、蘇我氏の本宗家の家系図を書き替えているとしたら、まことに陰険で悪意に満ちた改ざんと言わざるを得ません。

また、最近の蛯原春比古氏のFB投稿によりますと、馬子、蝦夷、入鹿という名前には呪術として、不慮の死を遂げた人の怨霊を封じる意味があるそうです。

蛯原氏によれば、馬子という名前は期日を示し、馬(午)の日から子(ね)の日までを大犯土という禁忌の期間を示します。

そして蝦夷の文字の中にある「蝦」は蛙を意味し、入鹿(動物のイルカ)とともに、怨霊を抑える神にささげる供物の意味があるようです。

ここまで読み解いている蛯原氏には驚愕と尊敬の思いしかありませんが、こういう名前を記紀の作者が意図的に創作して書いているとしたら、馬子、蝦夷、入鹿の三代はいずれも謀殺されており、その怨霊封じのための仕掛けが記紀編纂という作業の中で行われていたことになります。

そして現代にいたるまで、蘇我氏の当主たちはずっとこのような蔑称で呼ばれ続けているわけです。その霊の無念たるやいかばかりでしょうか?!・・・。

こうしてみると、本名である可能性があるのは満智と稲目だけということになります。

それでは、他の当主たちの本名はなんという名前だったのでしょうか?

斉木雲州氏著「上宮太子と法隆寺」(大元出版:2020年)によりますと、安閑天皇の御代の大臣は巨勢男人という人物で、この人には男児がいなかったので親戚の石川家から養子を迎えて巨勢臣稲目とした、とあります。

斉木氏の説を採るなら、記紀の系図は創作ということになり、蘇我稲目の本名は巨勢稲目だったということになります。この人物は蘇我氏ではなく、家系的には巨勢家を継いでいることにご注意ください。

稲目の子・蘇我馬子の本名は、斉木氏は「石川麻古」と書いています。そして、記紀が名前を捏造した理由について、「蘇我氏から継体天皇が出たことを隠し、応神天皇の子孫のように見せかけるため」、と説明されています。

そして、蘇我蝦夷の本名ですが、斉木氏は「石川雄正」と明記しています。同時に、「石川家は蘇我家とは関係がない」とも書いています。斉木氏の説を信じるなら、われわれが蘇我氏だと思っていた馬子、蝦夷、入鹿はいずれも蘇我氏ではなく、家系的には巨勢家、血統的には石川家の人であった、ということになります。

さらに斉木氏の説を続けますと、蘇我入鹿の本当の名前は石川林太郎。

斉木氏によると、乙巳の変という政変も実際には起こっておらず、記紀の作ったフィクションであるようです。

斉木説では、その後、孝徳天皇の代になってから、石川雄正(日本書紀では蘇我蝦夷)が誅殺され、続いて山背大兄王、古人大兄も誅殺されたようです。

さらに石川臣武蔵、石川山田麿という、石川雄正の後を継ぐ有力後継者たちも誅殺され、石川家は歴史の表舞台から姿を消すことになります。

・・・いかがでしょうか? 記紀によって大悪人に仕立て上げられた蘇我氏一族は実際には存在せず、石川氏という、代々の身命を仏教普及に捧げた尊い一族が歴史から抹殺されていることが御理解いただけると思います。

最後に、斉木雲州氏がどうしてそんなに裏の裏まで知っているのかということについてですが、氏は現在まで続く出雲王家の直系の子孫であり、代々の秘伝として口承によって伝えられた出雲国の存亡の歴史を把握しており、出雲王家と蘇我家は早い時代に婚姻して親族となっているため、蘇我家代々の歴史の真実がわかっているようです。

斉木氏の説明は具体的で詳細であり、細部に至るまで歴史的な齟齬がありません。そのうえ、いくつかの証拠まで提示してくれていますので、驚愕の内容ながら、ほとんど疑いようもありません。氏の著書と日本書紀を対比して読むと、書紀がいかに歴史を歪曲し、真実でない物語を捏造しているかということがよくわかります。特にこの蘇我氏についての記述はほとんどが捏造で、藤原氏の悪行を隠蔽するために意図的に蘇我氏は悪党にされたとしか考えられません。それなのにいまだに教科書を含むほとんどの歴史書が日本書紀の記述に沿ってのみ書かれていることが残念でなりません。

私たちは仏教国日本に住んでいるわけですが、日本に仏教を定着させた蘇我氏、いや、石川氏という知られざる一族がいたことを再認識する必要があります。

正しい歴史を知り、歴史の流れを正しく理解すること。それこそがこれからの歴史を正しいものにしてゆくための基本です。

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