月の民の足跡① 月氏は日本に来て月読命になった?

佐藤達矢稿

月の民の足跡① 月氏は日本に来て月読命になった?

写真左はトルコの国旗、そして写真右は日本の某神社の奥の院にある石造物。

左側の石燈籠のようなものには月のマークが見受けられます。

 このトルコ国旗の月と、日本の神社の石燈籠の月、実は深い関係があるとしたらどうでしょうか?

 ユーラシア大陸の西側から東の端へと、古代、延々と旅してこの月の意匠を伝えた民族がいたとしたら・・・。

 偶然の一致だ、と思われる方も多いかと思います。しかし、古代の歴史を調べて行けば行くほど、これは古代人が残した自らの出自のしるしではないかという疑念が強くなって行くのです。

 悠久の時間と距離を超えて日本にやってきた「月の民族」がいたのではないか?

・・・月のマークを国旗としてシンボルにしている国は少なくありません。トルコのほかにも、アゼルバイジャン、アルジェリア、ウズベキスタン、クロアチア、コモロ連合、ココスキーリング諸島(豪)、シンガポール、チュニジア、トククメニスタン、ネパール、パキスタン、パラオ、ブルネイ、マヨット(仏)、マレーシア、モーリタリア、モルディヴ、モルドバ、ラオス、リビアと、世界中になんと21か国もあります。

 これに対して、太陽を国旗の意匠としている国は、日本、アルゼンチン、カザフスタン、台湾など25か国。それぞれが古代の太陽信仰と月・星辰信仰の名残りだとしたら、国旗を見る限り、古代、太陽信仰族と月信仰族はかなり拮抗した勢力であったことがうかがえます。

 地域的な分布を見ると、月を国旗とする国はシルクロード上に存在している国が多く、また、赤道に近い暑い国が多く、砂漠国家が多く見られます。また、宗教的にはイスラム教の国が多いようです。

 これらの国が月をシンボルとしている理由を考えてみますと、これらの国は天候が非常に暑く、太陽はむしろ怖い存在で、月の出ている間の方がよほど生活に適した時間帯だったであろうことが推察されます。この点が、太陽をシンボルマークとする日本のような国と違うところです。

 砂漠の民は月と星を見ながら暮らし、旅するときには月と星の運航を見て方角を察し、日数を数えたことでしょう。これらの国の国旗には、月に加えていくつかの星をデザインに入れている国も多く、これらの国の古代の人々が月と星を神として認識していたこともうかがえます。

 これらの地域にうすぼんやりと重なってくる古代の民族が「月氏」です。

 日本では「月読命」として神格化され、天照大神に次ぐ存在として古事記、日本書紀に明記される非常に重要な神様なのですが、なぜか月読命に関する記述は多くなく、日本の古代史では脇役に甘んじているような印象もある、謎の神様です。

 しかし、詳しく調べてみると、実はこの神様の実像はかなりはっきりしてきます。

はっきりと「この話は月氏のことである」と古文書に記されているわけではないので気がつきにくいのですが、深く検証してみると、「この話は月氏について書かれたものに違いない」と思える記述がたくさんあるのです。

 月氏が日本に渡来した時代は非常に古く、今から2500年くらい前にはすでに日本にやってきていたのではないかと思われます。

 それは、月氏の記録が中国の史書に現れ始める時代よりも古く、太陽信仰族である天孫ニニギの日本渡来よりもずっと古いようです。

 月読命の記述が記紀に少ないのは、彼らが、後からやってきた天孫族との抗争に敗れ、支配下に置かれたからだと思われます。

 しかし、太陽信仰族が日本を統治するようになる前、月と星辰を信仰する民族の統治する「月の時代」があった。

 彼らは西アジア方面から日本にやってきて、日本に住み着き、天孫族に政権を奪われるまで、日本の交易を支配していた。そして天孫族降臨以降も彼らは生き延び、日本人の祖先の一部として現代のわれわれの血統にもその遺伝子を残している。

 その事跡を、この神社の石燈籠はおぼろげに伝えている・・・。

 このことをはっきりと論証するためには、かなり多くの説明を必要とします。

いっぺんに書くと長くなりますので、少しずつ論証してゆきたいと思います。

これからよろしくおねがいします。

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