スサノオの足跡⑳ オリオンの三ツ星と布都御魂 その2(佐藤達矢 稿)

佐藤達矢稿

スサノオの足跡⑳ オリオンの三ツ星と布都御魂 その2

前回、オリオン信仰をはじめとする占星術は、奥義として「死者蘇りの秘法」を編み出し、その秘法を実践するための神器として、「布都御魂」という剣と「十種神宝」という神器が日本にまで渡来した、という話をいたしました。

このことにもう少し補足すべき話として、古代エジプト神話の「オシリスとイシス」の話をご紹介しておきたいと思います。この話こそ、「死者蘇りの秘法」の由来となるものであり、「生命の樹」の原型となったものまで出てくる逸話なのです。しかも、オシリスという名前はエジプトではオリオン座を意味するものでもあるようです。ギリシャ人にはオリオンに見えた星座はエジプト人にはオシリスに見えた、ということでしょう。

・・・オシリスとイシスは兄妹ながら結婚していました。オシリスは太陽神ラーの後を継いで王として君臨しますが、弟のセトの謀略によって殺されてしまいます。
残されたイシスはオシリスの遺体を探し出し、魔術によってオシリスを蘇らせます。
その後、オシリスとイシスの子供であったホルスもまた、セトに殺されてしまうのですが、トートという神の呪術によってホルスもまた蘇ります。しかし、蘇ったホルスはよりによって母であるイシスを殺してしまうのですが、イシスもまた後日に蘇ります。

このトートという神ですが、医術の神でもあったようで、呪文により病を治す術も持っていたそうです。つまり、トートは病人を治癒することも、死者を蘇らせることもできたわけです。

神話として伝えられたエピソードなので、事実として考えるには無理があるかもしれません。しかし、もし、古代エジプトに死者蘇りの秘法が存在し、秘伝としてごく一部の人々だけに伝承されていたとしたら、その秘術は布都御魂や十種神宝とともに日本にまで伝えられていた可能性が出てきます。

ところで、オシリスは完全にこの世に蘇ったではなく、切断された遺体のうち、生殖器だけが見つからなかったため、冥界の王として蘇った、とされています。
その後、オシリスが冥界を、ホルスが地上界を支配することになるのですが、この「冥界・地上界」という概念がこの時のエジプトにすでに出来上がっており、これがギリシア神話の「オルフェウスとエウリュディケー」の話の土台となり、さらにこれが古事記の「イザナギが冥界にイザナミを迎えに行く話」となってくるわけです。

オルフェウスの話とイザナギの話は、ともに冥界に妻を迎えに行き、決して後ろを振り返ってはいけないと言われていたのに振り返ってしまい、妻を地上につれ戻すことに失敗するという、判で押したように全く同じ構成を持っています。
多くの学者が指摘していることですが、古事記や日本書紀は学術的な歴史書ではなく、それまでにあった数多くの古文書や口頭による伝承を集め、集成したものです。
そのため、日本の歴史だけではなく、世界中の歴史伝承がゴチャマゼになっているという側面があり、このイザナギ・イザナミのエピソードもまた、ギリシア神話がもととなっています。これは、記紀の作者が捏造したというよりも、出自のわからない伝承話としてあったものが、物語として面白みがあったために採用されて書かれたものかもしれません。

話を「死者蘇りの秘法」に戻しましょう。・・・かなり時代が下がって平安時代、陰陽師として歴史に名を遺した安倍晴明は、死者を蘇らせる方法はあるか?と尋ねられ、「殺すのは簡単だが生き返らせるのは非常に難しい」と答えたそうです。しかし、そう答えた後で晴明は呪術によって死者を生き返らせたとも伝えられ、また、晴明自身が命を奪われたとき、伯道上人という僧が「生活続命の法」という呪術を使って晴明を蘇らせた、という話が「峯相記」という文書に書かれているようです。
晴明の師匠は賀茂忠行といい、神武東征に協力した賀茂氏の末裔です。記紀によりますとこの賀茂氏が「八咫烏」として神武軍に加わって以降、苦戦していた神武軍は連戦連勝、ついには畿内を平定するに至るのですが、もしかしたら賀茂氏はエジプトに起源を持つ「死者蘇りの秘法」を受け継いでいた一族だったのかもしれません。

もうひとつ例を出しましょう。中国・三国志の時代。
「三国志演義」には何人かの仙人が登場し、時に人を呪殺したり、殺されても何度も蘇ったりという、不思議な話が記されています。
調べてみますと、これは正史の三国志にあるエピソードではなく、「捜神記」という別の書物に書かれているエピソードを拝借したものらしいのですが、安倍晴明の陰陽術と同じく、この時代にも呪術で人を殺したり、生き返らせたり、という行為が見られます。
同じ三国志において、諸葛孔明はその晩年、五丈原において自身の死が間近なことを悟り、呪術を用いて寿命を延ばすことを試みます。このとき孔明が用いていた呪術は「奇門遁甲」というものだったという説がありますが、はっきりしません。いずれにしろ西洋で生まれた占星術が発展したものと思われ、秦における徐福やこの諸葛孔明など、当時の中国における学識の高い人々の間にはこの素養が備わっていたそうです。

・・・こうして見ますと、「死者蘇りの秘法」は、エジプトで発明され、次第に東方に伝播し、最終的には日本に伝えられたのではないか、と思えてきます。この主題はキリスト教においても「イエスの復活」という逸話で語られているほか、ギリシア神話においてはペルセポネという女性の冥界からの帰還の物語とともに、「エレウシスの秘儀」と称される生命蘇生に関する秘術が、なんと紀元前15世紀から始まっているようです。しかしながら今日でもこの秘術については語られることも少なく、知る人も少ないようです。
それはなによりも、人の生死という、神様以外には手をかけてはいけない領域に手を伸ばすものであったため、よほどのことがない限りは使ってはならない秘術とされ、伝承出来る者もごくわずかの限られた人たちだったからでしょう。

秦の始皇帝をはじめ、栄華と富貴の限りを手中にした覇者でさえも、永遠の命だけは手に入れることができませんでした。しかし、永遠とまで行かなくても、延命法や生命蘇生の方法はあったようなのです。そして、その証拠(生命蘇生の秘法を行う道具)は現在、日本の石上神宮のご神宝として存在しています。

「死んだ生命が蘇る」という現象は、夕方に没して翌日の朝に再び昇り出す太陽の姿になぞらえられ、エジプトでは太陽神ラーの信仰と結びついたようです。そのエジプトの人々が昇る太陽を追いかけ、東へ東へと移動しながら、最後に日本にたどり着いたとするなら、日本にその至宝が残されていても不思議はありません。
そして、市川慎氏が主張しているように、日本の山中にもオリオンの三ツ星を模したと思われる人工の山が多く存在しているということは、亡くなった家族の蘇生を強く願う人々が古代日本のもたくさん存在し、労をいとわずに多くのピラミッドを作り、オシリスにその力を借りようとしたことの名残りなのかもしれません。(写真はオシリス像)。

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