スサノオの足跡⑯ インド・ドラヴィダ族とスサノオの関係(佐藤達矢 稿)

佐藤達矢稿

スサノオの足跡⑯ インド・ドラヴィダ族とスサノオの関係

大元出版の書物によりますと、出雲王朝はインドから渡来したドラヴィダ人が興した王朝だということです。

これが事実なら、私にはひとつ、非常に気になることがあります。それは、古代の朝鮮半島にも、金官伽耶国というドラヴィダ人の王朝があった、ということです。

前にも書きましたが、金官伽耶国の初代王・金首露の正妃は許黄玉というドラヴィダ人でした。この許黄玉の出自はインド・サータバーファナ王国の王家にあり、母系相続の家でしたので、国王になる資格を持った人物でした。

中国が前漢~新~後漢と目まぐるしく王朝が後退していた時代、許黄玉はインドから現在の中国・四川省に入り、そこから武漢を経て朝鮮半島に渡り、首露王の妃となったのですが、ドラヴィダ人である許黄玉がどうして朝鮮半島にやってきたのか?ということが謎のままでした。

しかし、日本の出雲国がドラヴィダ人国家だったとしたら、その謎が解けてくるのです。

中国に秦や漢といった大帝国ができたとき、周辺にいた異民族たちは迫害を受け、中国の国土から追い出されました。ドラヴィダ人もそのひとつですが、同時に迫害を受けた民族にアジア系遊牧民族たちがいました。

強大な秦や漢に対抗するため、彼らは異民族同士で同盟を結成し、共同戦線を張ろうとしたはずです。

この遊牧民族の代表者が、月氏や鮮卑、姜などと呼ばれた民族でした。この中に首露王の先祖もいて、彼らは中国北方から高句麗を経由して伽耶山に到り、洛東川を下って現在の韓国・金海の地に金官伽耶国を建国しました。

この地は漢の帝都から遠く、軍隊を派遣しにくい土地です。さらに、海を越えて出雲国に到ればドラヴィダ系の親族たちが多く住んでいて、結束して国を守ることも可能でした。

出雲にいたドラヴィダ人としては記紀に登場する塩土老翁や猿田彦があげられますが、彼らは海上交通を取り仕切っていた交易商人でもあったようで、彼らが故郷のインドから許黄玉という国王の血筋を引く女性を招聘し、当時の倭国連合の中心地ともいえる金官の地に新たな国家を作ったわけです。それは、いわば「東サータバーファナ王国」とも呼ぶべきドラヴィダ人王朝でした。

ところで、この金官伽耶国(東サータバーファナ王国)の金首露王ですが、この人は記紀などに登場する「高御産巣日神(高皇産霊神)」に相当する人物ではないかと私は考えています。そして、先日、上野俊一氏から重要な情報をいただいたのですが、上野氏によりますと、日本の伊勢神宮のご祭神とは別にヤマトでは、この「高御産巣日神」を祀っていた可能性があるようなのです。

これまで見てきましたように、スサノオは金首露王と許黄玉妃の暮らしていた金官伽耶国のすぐ隣にあった「伊西国」という国の神を奉戴し、新羅のソシモリという場所から出雲へと渡航、そこから丹後の籠神社を経て元伊勢と呼ばれる場所を転々とし、最後に伊勢の地に伊西国の神様を鎮座せしめています。

伊勢神宮のご祭神が高御産巣日神だったとすると、それは首露王であり、スサノオは首露王の菩提を弔い、祭祀を継続するために日本に伊勢神宮を作った、ということになります。

あるいは、スサノオは首露王と許黄玉二人の御霊を守るため、二人の位牌を御神体とし、祖先への祭祀を欠かさぬよう、そして太陽信仰族であった二人を朝日の見えやすい伊勢の地に祀ったのかもしれません。

ところで、古代史を考えるとき陥りがちな錯覚の一つに、現代の世界地図の感覚で国境をとらえてしまう、という誤謬があげられます。この時代の「倭」という地域は日本列島に留まらず、朝鮮半島の南半分、そして場合によっては中国の沿海部の大半をも含む広大な地域でした。

金官伽耶国のあった南朝鮮は、地理的に、当時の「倭」の中心といって良い場所だったのです。そして金官は鉄鉱石の大産地でもあり、この地を手中にしたものが軍事的に圧倒的な優位を築ける場所でもありました。

スサノオは首露王とほぼ同時期に伽耶に来て、同じ高天原という場所に住んでいます。

記紀によりますと、ここで首露王の一族(天孫族)との間に軋轢が生じ、乱暴狼藉を働いたとして追放されますが、やがて許されてアマテラス(首露王の娘のひとりか?)と結婚、宗像三女神など多くの子供を誕生させています。

そのアマテラスや宗像三女神を祀る神社が朝鮮半島には存在せず、日本に多くあるのは、伽耶諸国や新羅、百済といった国がやがて滅ぼされ、倭人たちが半島から駆逐されたことを物語っています。彼らはすべて、現在の日本人の祖先の一部でした。

スサノオは、金官伽耶国と新羅国の間にあった伊西国という国の神を現在の伊勢神宮に移すわけですが、新羅という国が金官伽耶国と同時期に誕生し、伽耶国が滅びた後は伽耶の遺臣を取込み、伽耶国と合体した形になっていることから考えますと、伊西国の神様が首露王夫妻だったとしても不自然ではありません。

また、現在の伊勢神宮のご祭神がアマテラスであるということも、首露王と同じ天孫族の代表者として祀られているのであれば、まあ許容範囲なのかな、とも思えます。

こうしてみますと、天孫族とは、ドラヴィダ系インド人の母方と遊牧民族系の父方を持つ王族が倭人社会の中に入って建国した国の王族であり、出雲族とはやはりドラヴィダ系インド人が倭人社会に入って混交することによって出来上がった国だということになります。

そしてスサノオ族は、その気性の激しさや布都斯御魂のルーツなどから、北方遊牧民族であると思われるのですが、その出発点は首露王と同じく北イスラエル王国にあり、どちらも10氏族の系譜を引き継ぐものではなかったか?と私は考えています。

スサノオは高天原で乱暴狼藉を働いたり、出雲国で御神体の藁蛇像を破壊して歩いたりといったエピソードも多く残っていますので、天孫族や出雲族とはしばしば対立関係にあった時代も多かったようです。その対立していた時代に起こった事件が八岐大蛇退治であれば、これはスサノオ族と出雲族の戦いを暗示しているのかもしれません。出雲族の神が蛇体であったという説にしたがえばなおさらそういうことになります。

しかしながら、相争った民族が最終的には政略結婚して融合するというのが日本の歴史の特色です。スサノオ族は天孫族とも出雲族とも婚姻を結んで同化しました。そのため、現代の日本人にとっては、アマテラスもスサノオも、出雲の大国主もみな、変わらぬ重要な祖先たちとなっています。

(写真は「鉄の王キム・スロ」に許黄玉役で出演した女優ソ・ジヘ)。

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