82. 反エムー

旅立ちの助走(Hop before Leap)

82.反エムー

ミーターの大冒険
第一部「紫からの飛躍」第14話

 石造りのドームの奥で、空気は不自然なほど静止していた。
 惑星イオス―のドーラ・ウェーブ。
 ここは情報が集積される場所であると同時に、決してすべてが語られない場所でもある。
 ハニス・イザルは、わずかな違和感を背骨の奥に覚えながら、ドーラの前に立っていた。
 アポリアナの死から、まだ時間はそれほど経っていない。八十一年という寿命が短いのか長いのか、彼には判断がつかなかった。ただ一つ確かなのは、彼女が遺した準備が、今になって次々と姿を現し始めている、という事実だった。
 ミーターの柔軟な論理。

 ヒュー・ドナックが地球探査から持ち帰った報告書。

 ラムダ・グリスが沈黙のまま唸った「クロノ・ブルーム」の再定義。

 それらが一本の線として繋がり始めた、その先に―
 「反エムー」という、聞き慣れぬ言葉が浮かび上がっていた。
 ドーラは、静かな確信を宿した目でハニスを見つめていた。
「先ほどお話しした通りですわ」
 彼女の声は柔らかいが、そこに含まれる内容は、銀河の構造そのものを揺さぶる重さを帯びていた。

「我が盟主より、あなたが将来なされるであろう尊い行為を見据え、肝心な真理は余すところなく伝えるよう、申し付かっております」
 ハニスは息を整え、黙って頷いた。
 もはや、聞く覚悟はできていた。

「まず、コンシューアムについてですが―」
 ドーラはゆっくりと言葉を選ぶ。

「あなたのアーカイヴ。すでにその政府からあなたは敵対分子と目され始めている存在ですが、それと時を同じくして、コンシューアムは変質期に入りました。かつて第一発言者オルデン・プルプラの時代、最も安定していたその運営原理からの逸脱です」

 ハニスの脳裏に、Q・Rミーターの記憶装置がよぎる。
 アポリアナの記憶を掘り起こした、あの夜。
「……思い出されるでしょう」

 ドーラは続けた。
「あなたがミーターの記憶層から抽出した情報の中に、惑星リリナスのヘイム人社会、その内部で活動を始めた集団の兆候がありました」
 ハニスの眉がわずかに動く。

「反エムー……ですか?」
「ええ」
 ドーラは迷いなく肯定した。
「現在、コンシューアムの第25代第一発言者スティルバー・プルプラも、彼らの存在を強く意識し始めています。彼は感じ取っているのです―『安楽の世紀』が終焉を迎え、最終的逸脱の時代が訪れ、その後に突如として『銀河の大復興期』が到来することを」

 ハニスは、背中に冷たいものが走るのを感じた。
 それは予測ではなく、確信の語りだった。
「しかも重要なのは」
 ドーラは一拍置いた。
「それが従来のクロノ・ブルームの延長ではない、という点です。
 彼らが導くのは、その深化形―『クロノ・フラワー』」
 ラムダ・グリス。
 輻射キューブ。
 すべての断片が、ここで再び意味を帯び始める。
「スティルバー・プルプラは、ラムダ・グリス由来の輻射キューブを用い、『最終的逸脱の青の時代』が迫っていることを見出しました」

 ドーラは、わずかに微笑む。
「『反エムー』という呼称は、実に的確ですわ。
 かつてエムーがアーカイヴ・プランを崩壊させたのに対し、彼らはまったく逆の動機から、そのプランを完成させようとしている」
 ハニスは、思わず言葉を失った。
 破壊ではなく、完成。

 否定ではなく、回収。

「今になって、ようやく銀河史の表舞台に姿を現した―それが彼らです」

 ドーラの声は静かだが、断定的だった。
「この事実に、最初から気づいていたのがヒュー・ドナック。
 そして、ベリー・ペリゴールでした」
 あの名前が出た瞬間、ハニスは確信する。
 これは偶然ではない。
 すべては、最終段階に入っている。
「あなたの役割は明確です」
 ドーラは一歩、距離を詰めた。
「ミーターを助け、この壮大な舞台の“土台”を築くこと。
 あなたの政府が苛立ち始めているのも、同じ理由からです」
 アポリアナの顔が、脳裏に浮かぶ。
 あの静かな視線。

 すべてを知った上で、語らなかった沈黙。
「彼女は、この準備を周到に整えてくれました」

 ドーラは、敬意を込めて言った。
「まさに、偉大な業績でしたわ」
 そして、わずかな間を置いて、最後の言葉を告げる。

「いよいよ、惑星ヘリオスの者たちの活躍が見ものになります」
 ドームの天井越しに、淡い光が揺らめいた。
「さらに言えば―
 『紫が、黄色とともに輝き出す』時期が、ついに到来するのです」

 ハニスの背筋に、戦慄が走る。
 それは恐怖ではなかった。
 銀河復興の第一歩が、すでに不可逆的に踏み出されているという、確信だった。

 彼の外遊は、もはや避けられない。

 コンシューアム。
 そして、まだ名を持たぬもう一つの集団。
 物語は、静かに―しかし確実に、次の局面へと移行していた。

(つづく)

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