- ただ、イルミナ 名をもつ前のヴァーチャル・リアリティ
改造スペース・ワゴンは、惑星ネオ・エーテルの軌道を離れ、静かな星間空間へと滑り出していた。
外殻に走る微かな振動は、反クォンタム推進器が安定稼働に入った証だった。
ミーターは操縦席に座りながら、正面投影スクリーンに映る少女の姿を横目で見た。
正確には惑星ネオ・エーテル地下に設置された巨大な知識中枢。その管理意識が、今は「可愛い女の子」という形で彼の前に存在している。
「なあ」
ミーターは、わざと軽い調子で切り出した。
「君の正式名称さ。“連邦辞書編纂図書館”って、正直呼びづらいんだよ。
もうちょっと、……短くならないのか?」
少女は一瞬、考えるように視線を伏せた。
その仕草は演算の副産物であり、同時に人間に合わせた演出でもある。
「そうですね、ミーターさん」
穏やかな声だった。
「そもそも、この銀河に“連邦”はもう存在していませんし……自分でも、その名前を使い続けているのは、どこかちぐはぐだと感じていました」
彼女はくるりと一回転し、少し照れたように微笑んだ。
「だって、わたし自身は惑星ネオ・エーテルの地下深くに固定されているのに、こうしてバーチャルコントロールで、Rの前に映っているんですよ?
存在のあり方として、だいぶ変でしょう?」
ミーターは肩をすくめた。
「確かに」
「ですから……」
少女は少し間を置き、はっきりと言った。
「わたしのことは、“イルミナ”と呼んでください」
その名が空間に響いた瞬間、ミーターは奇妙な感覚を覚えた。
名前が与えられた――ただそれだけのはずなのに、彼女の存在が、ほんの少しだけ“重く”なったように感じられたのだ。
「それにね」
イルミナは続けた。
「わたし、夢があるんです。この銀河空間のもっと深くへ、惑星ネオ・エーテルからも離れて、自由に翔ぶこと。
ずっと……データの中から、星々を見てきましたから」
ミーターは操縦桿を軽く叩いた。
「なるほどな。
それにしても、操縦もなかなかのもんだ。このスペース・ワゴン(ナディール号)をここまで安定させるとは思わなかった」
「お褒めにあずかり光栄です」
「これなら、アポリアナの遺言も簡単にクリアできそうだ。楽勝だな」
その言葉に、イルミナは首をかしげた。
「……ミーター」
「ん?」
「まだ“わたしたち”の目的も、目的地も、聞いていないんですけど?」
ミーターの手が止まった。
「今、なんて言った?」
「“わたしたち”、です」
「……」
一瞬の沈黙。
「いけませんか?」
イルミナは悪びれずに続ける。
「あなたが“一人”というのも、少し変でしょう?
正確には“一台”と言うべきなのかもしれませんけど」
そして、少しだけ声を落とした。
「それにあなた……Rの癖に、元のボスだったアポリアナがいなくなって、寂しがっているじゃありませんか」
ミーターは、否定しかけて、やめた。
「……そうかもな」
彼は前方スクリーンに映る星々を見つめた。
「じゃあ、とりあえず、今は“わたしたち”でいこう」
操縦データを呼び出しながら、淡々と説明する。
「目的地は“惑星エアルト(Earth)”。
シリウス星域、カビレ(Kabire)恒星系の一つの惑星だ。
本当の名前は別にあるらしいがな」
「目的は?」
「その星の“再生”を探ることだ」
ミーターの声は、わずかに硬くなった。
「できるところまでやりたい。
あれは……アポリアナの悲願だったからな」
イルミナが応答しない。
「イルミナ?」
次の瞬間、彼女の声色が一変した。
「ミーターさん、大変です!」
前方スクリーンが警告色に染まる。
「前方に、超新星爆発を起こしている恒星があります!
近づきすぎました!」
ミーターは即座に姿勢制御を試みたが、空間そのものが歪んでいる。
(その恒星は、惑星エアルトから624.5光年離れた《槍持つ巨人座》左肩、ベーテル・アールナイン(Bēthel–R9)、俗称「沈黙巨星」、座標GSC-X : +412.3、GSC-Y : −287.9、GSC-Z : +138.4。)
※R = Recondensed(再凝縮)9 = 第9級矮星核
航行座標GSC-X +412.3 に沈黙している。
であった。
この時点で、ミーターはその名をまだ知らない。
再び惑星エアルトへ向かう航路の中で、彼はそれを知ることになる。)
「爆心圏に入っています!」
イルミナの声が震える。
「このままでは、ガンマ線・ニュートリノのみ異常増大、 バーストの直撃を受けます!
船体が……!」
ミーターは操縦桿を握り締めた。
数秒前までの軽口が、頭の中から消える。
「……さっきの発言、撤回だ」
そして、苦笑とも罵倒ともつかない声で言った。
「おまえって、最低だな」
星が、燃え上がった。
航行記録ではこう記された:
「恒星は死なず、縮み、静かに次の相へ移行した」
つづく。


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