61. 反ミュールの記憶

アルカディアの遺言
  1. 反ミュールの記憶

ファウンデーションの夢

第八部 アルカディアの遺言

第四話 反ミュールの記憶

ターミナス暦四四三年。

 午後の光がラヴェンダー畑を金色に染めていた。風が吹くたびに紫の波がゆらめき、遠くで小型のホログラフ塔が薄く光を放っている。ここは〈アルカディア農園〉──ファウンデーション史上、最後の「自由な思想家」と呼ばれた老婦人の居館である。

 八十一歳のアルカディア・ダレルは、白いショールを肩にかけ、静かに寝台に身を横たえていた。その傍らには銀色のロボット、ミーター・マロウが控えている。

 ミーターはアルカディアが十四歳のときから仕えてきた伴侶に等しい存在だった。彼女が名づけた名──「マロウ」は、ダレル家の遠祖である英雄ホーバー・マロウの血脈を象徴する。

 ホログラフの光が窓辺を照らし、室内にはラヴェンダーの香気が満ちていた。

 アルカディアは薄く笑みを浮かべ、ミーターに視線を向ける。

「忘れてならない、大事なことがあるのよ、ミーター」

 その声には、遠い年月を越えてなお消えぬ強さがあった。

「よく聴いてね。私は、ハリやガール・ドーニック、それにベイタお婆さんの理想を、少しでも実現しようと努力してきたつもりよ。あと三つのグループの人たちも同じようにね。 . . . もっとも、その中の一つは、単なる“人”ではありませんけれど」

 ミーターの光学センサーが一瞬だけ明滅した。

「でもそのグループはね、人間以上に尊敬できる存在──Rs。あなたも、同じよ」

「同じ!?」

 ミーターの声がかすかに震えた。

 アルカディアはうなずく。

「ええ。ベイタお婆さんの発見した文書を読み込んだの。そこには、“不死の従僕”がハリやガールに会った頃、自分を〈ヒューミン〉と名乗っていたと書かれていた。“まったく人間的”という意味だそうよ」

 外では、探査ドローンの影が畑の上をゆっくりと通り過ぎていく。

「そのR──彼の生存理由は、人間社会を維持し、人間の尊厳を守ることにあった。二万年という時を超えてね。まるで四つ葉のクローバーみたいでしょう? 第零法則を信奉する彼らのおかげで、私たちはここまで導かれてきたのよ」

    ミーターは静かにうなずいた。

 ラヴェンダーの花粉が光に舞い上がり、まるで銀河の星雲のようだった。

「今のターミナスを見れば、わかるでしょう? ハリからもうすぐ五百年が過ぎようとしているのに、銀河復興の理想とは逆行している。ガールの理想を再発見したベイタの時代とは、まるで別の世界みたい . . . 」

 アルカディアはかすかに咳をし、呼吸を整えた。

「このターミナスこそ、銀河復興の要になるはずだったのに、いまだに第2ファウンデーションを敵視している。私が政治に関わらなかった理由、あなたにはわかるわね?」

「 . . . お母様が第2ファウンデーション人だったから?」

「それもあるけれど、あの雰囲気に巻き込まれたくなかったの。今のターミナスには、危ない傾向がある。全体主義の復権よ」

 その言葉には、かつて〈ミュール〉が銀河を恐怖で支配した記憶が滲んでいた。

「あのミュールより、ずっと恐ろしい。意志のない服従、思考を捨てた群衆。状況はあのインドバー王政より悪化しているかもしれないわ」

 沈黙。ラヴェンダーの香りが、微弱な電子の焦げる匂いと混ざり合う。

「私の理想、ご先祖様の理想はね、単なる民主主義を越えるものなの。

 一人ひとりが自律し、他者を極限まで尊重し、有能な心で全体を配慮する──そんな文明よ。ミーター、質問。この理想の真逆はなにか、わかる?」

「う~ . . . 。???  . . . わかった! オリンサスさん!」

 アルカディアはふっと笑い、涙を浮かべた。

「馬鹿ね . . . 。冗談が得意なRなんて、銀河のどこを探してもあなたしかいないわ」

 ラヴェンダーの風が、彼女の白髪をやさしく揺らした。

    その瞬間、遠くの地平で、衛星タワーの光が微かに点滅した。

 ミーターの内部メモリに、アルカディアの最後の言葉が静かに刻まれる。

「全体主義とは、政府に反対する政党を認めず、個人が異を唱えることを禁ずる体制──

 けれど、わたしたちの銀河は、思考する自由を取り戻すために存在するのよ、ミーター。

 あなたが、それを伝えて . . . 」

 彼女の声は、ラヴェンダーの波の向こうへと溶けていった。

 ターミナスの空に、微かな光が昇る。

 それは、アルカディアの生命の最後の閃光であり、

 銀河復興へと続く“ファウンデーションの夢”の灯でもあった。

 ミーター・マロウは、沈黙の中で一礼し、ホログラフの光を胸に閉じ込めた。

 彼の次の旅路──惑星コンポレロンへの航路は、すでに静かに始まっていた。

                              《つづく》

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