第94話無響の図書館(Silent Library)
第94話 無響の図書館(Silent Library)
SF小説 ボー・アルーリン
(ボー・アルーリンとダニール・オリヴォー、時空を超えた知識の交差点)
惑星地球・旧ニフ地域──銀河帝国暦10266年
廃墟と化した都市の片隅、かつて寺院だった場所の庭に、一輪のヤマブキが咲いていた。R・ダニール・オリヴォーは慎重にその花を見つめ、指先で触れる。黄色い花弁が微かに震えた。その瞬間、彼の意識は過去と未来をつなぐかのような波動を感じ取る。
傍らに立つR・レオナルド・エンノビエッラが、その視線を追いながらつぶやいた。
「まさか . . . 」
レオナルドは柔らかい声でダニールに話しかけた。「紅皿のヤマブキ──。ニフの遠い過去の時代、太田道灌という武者が若き日に雨宿りをしようと農家に入った際、そこの若き紅皿という娘が無言でヤマブキの花を差し出しました。道灌はその意味をその時は理解できなかったが、後になって
『七重八重
花は咲けども
山吹の
実のひとつだに
なきぞ悲しき』
という和歌を知り、貧しさを伝えようとした娘の意図を悟って自分の至らなさをまさまざまと感じた、といわれています。」
ダニールは深く頷いた。
レオナルドの講義は続いた。
「当時のニフでは、和歌や花のやりとりが、言葉を超えた感応の手段でした。道灌はその経験を機に学問を志し、武将としての器を広げたと伝えられています。もしあの娘が言葉で説明していたら、彼はその教訓を得ることはなかったかもしれません。」
「つまり、知識はただ記録されるものではなく、受け手が自ら気づき、感じることで意味を持つということか。」ダニールはヤマブキを静かに見つめた。
「この花は、ニフ文明が持つ自己修復能力の象徴かもしれない。歴史が失われても、知識の本質は受け継がれていく、という。
まさにこの銀河は確実にやがて修復される。」
ダニールは腕を組み、思案した。「もし、ヤマブキのように、無言のまま知識を伝える場があるとしたら . . . 」
「無響の図書館だ。」ダニールの瞳が深く光った。「音がなくとも、知識は響く。情報が与えられるのではなく、内側から引き出される環境こそが、本当の学びを生む。」
ダニールは微笑んだ。「ならば、それを実現するのはボーたちだな。」
「そうだ。」レオナルドは忘れかけていたエーテル通信回線を開いた。そのリアルな光景は天の川銀河の反対側の惑星ターミナスに届いた。まず地球から、惑星イオスのR・アーキヴォーのもとに。そしてアーキヴォーから惑星ターミナスのR・プロキュラスへ。プロキュラスはその描写をありありとボーとイリーナの瞳に現像させた。
方や、惑星ターミナス・ファウンデーション計画借本部
「完全無音の図書館ですって?」
イリーナ・シャンデスは驚いた表情でボー・アルーリンを見た。
「そうだ。」ボーは微笑みながら、設計図を広げた。「言葉は重要だ。しかし、言葉に頼りすぎると、真に感じ取るべきものを見落とす。無響の図書館は、静寂の中で知識と向き合うための場所になる。」
イリーナは半ば大賛成の心のまま、ボーの決心をさらに強固にさせる風でボーに問うた。「ボー、シンナの図書館、サンタンニのカレブ・ゼロの図書館、帝国図書館の遺産がすでに当地に続々と運ばれております。
それでも新たにこの『無響の図書館』を建てる必要があるの?」
ボーは頷いた。「過去の図書館は記録の蓄積が目的だった。だが、これは違う。ここでは、知識を受け取る者自身が、その意味を感じ取らなければならない。文字の羅列ではなく、心で読む図書館だ。」
イリーナは微笑んだ。「つまり、受け手の『感応力』を試す図書館ということね。」
「その通り。」ボーの目が輝いた。「ダニールが言っていた文明の本質、ヤマブキの感応力を実証する施設だ。」
少し離れたところにいたカーリス・ネブロスが近づいて来て、声を発した。「でも、無音の空間で知識を伝えるなんて、本当に可能なのですか、ボー先生?」
ダニールはゆっくりと頷いた。「音がなくとも、心は響く。」
ボーは深く息をついた。「ダニエル・クルーソーさん、わたしは、あなたの新しい理想を形にしてみせます。ご覧なさっていてください。」と惑星ターミナスの中天に向かって涙声でつぶやいた。まるでそこに銀河の反対側にいるはずのダニールに届くように。
そして、「期待しているぞ。小僧っ子。」とボーはダニールの声を聞いたような感覚に襲われていた。
ボーは声を出さずに、目に涙が滲ませて立ちすくんでいた。
それをじっと脇でみていたイリーナはかすかに微笑んでボーに囁いた。
ヤマブキのように、静かに、しかし確実に。
次話につづく . . .
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