ガール・ドーニックの微細心理歴史学と再びの地球探索

ボー・アルーリン

ガールガール・ドーニックの微細心理歴史学と再びの地球探索第105話ガール・ドーニック微細心理歴史学再びの地球探索第105話 ガール・ドーニックの微細心理歴史学と再びの地球探索SF小説 ボー・アルーリン久しぶりにホルク・ミューラーは惑星ターミナスに戻って来た。もちろん、ボー・アルーリン、イリーナ・シャンデス、カーリス・ネヴロスは旧友の帰還を歓んだ。さらに言えば、その仲間の中でもサハ・ローウィンスの喜びようは格別だった。薄暗いボーの書斎に、ホルク・ミューラーの熱を帯びた声が、あたかも長年温めてきた思想を吐露するかのように響いた。教え子のサハ・ローウィンスは、その言葉の一つ一つを、未来への羅針盤となるべき重要な情報として、慎重に記憶の奥底に刻み込もうとしていた。ホルクの目は、遠い未来の銀河を見据えるかのように、知的な光を宿している。「サハ、僕の長年の研究の結晶、『記号論理学』の新たな定理を、今こそ世に問う時が来た。だが、直接ボーに提言するのではない。まず君から、ボーにそれとなく伝えて貰いたい。そうすればボー先生は、あの知的なガール・ドーニックを間違いなく、穏やかに、しかし着実に説得してくれるだろう。」ホルクは、古びた木製の机の上に広げられた、複雑な数式と見慣れない記号が羅列された羊皮紙を指差した。それは、単なる形式的な論理体系ではなかった。人間の思考、感情、そして行動の根底にある、捉えどころのない構造を解き明かそうとする、壮大な試みだった。「ガールの知性は、並外れている。彼ならば、この定理がかすかに示唆する深遠な意味を、きっと理解してくれるだろう。そして、その先に自ずと拓かれる『微細心理歴史学』の道筋を、誰に促されるでもなく、自身の意志で見出してくれるはずだ」微細心理歴史学。それは、偉大なるハリ・セルダンが確立した、群集の行動を高次元の統計的手法で予測する巨視的な未来予測の学問を、個々の意識の微細なレベルまで深く掘り下げる、ガール独自の構想だった。単に膨大な数の人々の統計的な潮流を読むだけでなく、たった一個人の内奥に潜む、微細な心的変動を精密に捉え、未来をより精緻に、そして多角的に予測する。そのためにこそ、ガールの、常識を超越した洞察力が必要だった。「ガールの探求の旅は、必然的に過去へと遡るだろう。人類の歴史の根源、さらに遡って、生命がこの宇宙に初めて萌芽した瞬間から、連綿と続く進化の複雑な足跡を丹念に辿るのだ」ホルクの声は、まるで失われた古代の聖典を朗読する、敬虔な学者のようだった。「地球上に初めて生命が誕生した時、単純な原始細胞の中に、小胞体やミトコンドリアが共生するという奇跡が起こった。それは、全く異なる性質を持つものが互いに融合し、より複雑で高度な機能を持つ生命体を生み出す、進化の根源的な原理を示している。多細胞生物が、生存のために擬態という巧妙な戦略を繰り返し、他の生命体を文字通り摂取・融合させながら、熱力学第二法則に抗うかのように、より複雑な存在へと進化してきた驚くべき過程も同様だ。融合と変容、それは生命の根底に脈々と流れる、普遍的な原理なのだ」ホルクは身を乗り出し、サハの瞳を熱い視線で射抜いた。「過去二万年の間に、人類が故郷の惑星地球から、広大な銀河の星々へと進出してきた壮大な歴史を思い出してほしい。異なる環境に適応する中で、人類は常に新たな変異、言い換えれば、潜在的なミュータントの可能性をその遺伝子の中に孕んできた。その微細な痕跡は、微細心理歴史学の貴重な証拠となるだろう。個々の意識の深層に、まるで年輪のように刻まれた、進化の記憶、環境への適応という変容の可能性。それこそが、我々が目指す未来を解き明かすための、重要な鍵となるのだ」そして、ホルクは満足げに、しかし奥深い意味を込めて静かに微笑んだ。「新たな辞書編纂図書館プロジェクトの、次なる深遠な展開にも、この融合と変容の原理は応用できるはずだ。言葉は思考の断片であり、その複雑な変遷を丁寧に辿ることは、人類の集合意識の進化、その隠されたパターンを読み解くことに繋がるだろう」ホルクは、あたかも自らに言い聞かせるように、二つの重要な条件を強調した。「第一に、偉大なるハリ・セルダンの存命中に、私のこの野心的な『記号論理学』が、彼の壮大な『心理歴史学』の射程内にあると、公式に認めてもらう必要がある。彼の揺るぎない承認は、この新たな研究に確固たる正当性を与えるだろう。なにしろ、この一連の壮大なプロジェクトは、他ならぬハリ・セルダン、その人から始まったのだから、な。」「そして第二に、最も肝心なことだが、ガール自身が、外部からのいかなる強制や誘導もなく、彼自身の内なる知的好奇心と探求心という根源的な衝動から、過去への壮大な探索の旅に気づき、自らの意志で足を踏み出すように、周到に仕向けてほしい。外部からの直接的な指示ではなく、彼自身の内発的な自発性こそが、真理の核心に到達し、新たな発見へと繋がる、唯一の道なのだから」ホルクは、サハの肩にそっと手を置いた。「サハ、君の知的な言葉は、聡明なガールの心に深く響くだろう。ボーに、私の定理の核心を、あたかもさりげない会話の一部であるかのように伝え、ガールの比類なき知的好奇心を優しく刺激するような、適切な言葉を選んでほしい。彼が自ら疑問の念を抱き、遥かなる過去への探求へと、内なる魂が自然と惹かれるように。微細心理歴史学という、まだ見ぬ知識の扉を開けるのは、最終的には彼自身なのだから」サハは、ホルクの言葉の奥に秘められた、計り知れないほどの知的熱意と未来への希望の重みに、深く頷いた。それは、単なる伝言という事務的な役割ではない。人類の未来の方向性を左右するかもしれない、壮大な知的冒険の始まりに、彼女自身が立ち会っているのだという、静かな確信が、彼女の若い胸に力強く湧き上がっていた。ボー・アルーリンの静謐な研究室で、サハ・ローウィンスは、まるで熟練した外交官のように、慎重に言葉を選びながら、ホルク・ミューラーの野心的な新たな定理の、核心の一端をボーに語った。そして次の日、ガール・ドーニックは、ボー・アルーリンの言葉の端々に、この若いサハ・ローウィンスの、年齢に似合わぬ並々ならぬ深慮遠謀が巧妙に織り込まれていることに、鋭敏な知性で驚きを感じた。ガールの鋭い眼差しは、サハの言葉の奥底に、まだ明確には見えない、しかし確かに存在する可能性の萌芽を、既に見抜いていた。同時にもちろん、ガールは既に、旧知の間柄である年下のホルク・ミューラー博士が、ボー・アルーリンやサハ・ローウィンスの背後にいて、この一連の知的策略を練っていることを、容易に看破していた。ガールは、ある日サハを呼び出し、直接その意図を問い質した。サハは、わずかに躊躇しながらも、過去の出来事、生命の驚くべき進化の過程、そして人類が故郷の地球を離れ、広大な銀河へと進出してきた歴史における、隠された変容の可能性について、あたかも何気ない会話であるかのように、さりげなく触れた。その夜、ガール・ドーニックは、珍しく寝床についても思考が覚醒し、眠りにつくことができなかった。サハ・ローウィンスの言葉が、彼の奥底に眠っていた知的好奇心を、静かに、しかし確実に激しく揺さぶっていた。生命の根源的な融合と変容という驚異的な原理。人類の悠久の歴史の地層に深く刻まれた、意識の進化という捉えどころのない痕跡。そして、現在そして未来をより深く、そして根源的に理解するための、全く新たな視点。ガールの研ぎ澄まされた心の中で、微かな確信の種が、静かに、しかし力強く芽生え始めた。本当に本質的なのは、これまでのように、統計的な手法で捉えられる群集の行動という巨視的な潮流だけなのだろうか?もしかしたら、個々の意識の深淵、その微細な領域にこそ、未来を解き明かすための、より深遠で、本質的な真実が隠されているのではないか?その日から、ガール・ドーニックの、新たな探求の旅が始まった。あたかも、ホルク・ミューラーとサハ・ローウィンスが密かに仕掛けた、巧妙な知的な罠に、自らの自由意志で導かれるように。彼は、ターミナスの膨大な歴史記録を洗い直し、生命科学の最先端の文献を貪るように読み耽り、そして何よりも、自身の内なる静かな声に、深く耳を傾けた。やがて、ガールは内なる確信に至るだろう。彼が長年追い求めていた、未来を理解するための深遠な答えは、遥かなる過去の中に、まるで化石のように静かに埋もれている。人類の意識が最初に萌芽した起源、進化の複雑な過程で繰り返されてきた、数多の変容の決定的な瞬間、そして、現在、そしてまだ見ぬ未来へと、まるで目に見えない糸のように繋がり続ける、微細な心の動き。それらを丹念に解き明かすことこそが、ホルク・ミューラーが提唱する、新たな学問領域「微細心理歴史学」の核心であり、ホルクが彼に託した、知的な使命なのだと。そして、その再びの故郷の惑星地球への、長く困難な旅の果てに、ガール・ドーニックは、偉大なるハリ・セルダンさえも、その深遠な知性をもってしても見抜けなかった、人類の隠された、そして驚くべき新たな可能性を、発見するかもしれない。それは、これまで決して予測不可能であった未来への、一筋の希望の光となるだろう。ホルク・ミューラーの、壮大で野心的な計画は、今、この瞬間も、静かに、しかし着実に、その複雑な歩みを始めていた。ここ、広大な銀河の辺境に位置する惑星ターミナスの一見地味な響きの「辞書編纂図書館プロジェクト」が、やがて「銀河復興の堅固な支柱」となるに違いないと、ガールは確信していた。ガールは、ある日ボー・アルーリンの私室を訪れ、静かに、しかし決意を秘めた声で尋ねた。「アルーリンさん、惑星イオスから来ている、私の旧知のR・プロキュラスに、地球への旅の手配を依頼して貰っても、よろしいでしょうか?」もちろん、この彼の重要な意向は、既にベリス・セルダンとマネルラ・セルダンに、事前にそれとなく伝えてあったのは、言うまでもないことであった。次話につづく . . .

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