蘇我氏の正体㉜ 蘇我氏関連古墳の概要
前回、蘇我氏の墓がどこにあるのか?という考察を投稿したところ、多くの方々から貴重な情報が寄せられ、おかげさまで研究が一気に前に進みました。
それで今回は、蘇我氏の墓かもしれないと思われる古墳を一覧にしてみました。
じつは、蘇我氏歴代の誰一人として、墓が特定された人物は存在しません。
あくまでも、「可能性がある」という範疇でのリストアップですが、蘇我氏という氏族の実態を探る上で、墓の研究は欠かせないと言えます。
① 磯長谷古墳群(大阪府南河内郡太子町)
飛鳥の都より遠く、聖徳太子が開発した斑鳩の里に近い。
蘇我氏系の天皇の陵墓とされる古墳がある場所で、同族である蘇我馬子や蝦夷、入鹿の墓があっても不思議ではない。
(名称) (推定埋葬者)(墳形) (墳丘長) (石室)
・太子西山古墳 敏達天皇 前方後円墳 93m 横穴式石室
・春日向山古墳 用明天皇 方墳 63×60m 横穴式石室
・山田高塚古墳 推古天皇 方墳 63m 横穴式石室二基
・山田上ノ山古墳 孝徳天皇 円墳 30m 不明
・叡福寺北古墳 聖徳太子 円墳 55m 横穴式古墳
・二子塚古墳 推古天皇 双方墳 60×25m 横穴式石室
・越前塚古墳 長方墳 75×55m 横穴式石室
・モンド神塚古墳 円墳 15m
・かまど塚古墳 円墳 45m 横穴式石室
・石塚古墳 方墳 30m 横穴式石室
・倍塚
② 平石古墳群(大阪府南河内郡河南町加納地内)
斉木雲州氏はこの古墳群を蘇我氏歴代の墓群としている。が、その根拠については触れられていない。豪華な多数副葬品が発掘されており、馬子や蝦夷の墓であれば当然、と思える。磯長谷古墳群に近く、王に対する側近の墓としても納得の位置にある。
・シショツカ古墳 方墳 34×25m 横穴式石室
・ツカマリ古墳 方墳 44m 横穴式石室
・アカハゲ古墳 方墳 70×40m 横穴式石室
③ 与楽古墳群(奈良県高市郡高取町)
石舞台をも凌ぐ高さ5.27mという最大規模の石室を持つ与楽カンジョ(乾城)古墳がある。蘇我氏と関連の深い東漢氏の墓群という説があるが、蘇我氏のものである可能性もある。明日香と葛城の中間くらいの位置にあり、いかにも蘇我氏が好みそうな立地にある。
・寺崎白壁塚古墳 方墳 30m×30m 横穴式石室
・与楽鑵子塚古墳 円墳 28m×28m 横穴式石室
・与楽カンジョ古墳 方墳 36m×36m 横穴式石室
・他 数百基あり。
・真弓鑵子塚古墳 蘇我稲目 円墳 40m 横穴式石室
④ 水泥古墳群(奈良県御所市古瀬)
・水泥北古墳 蘇我蝦夷、入鹿 円墳 20m 横穴式石室
・水泥南古墳 蘇我蝦夷、入鹿 円墳 25m 横穴式石室
⑤ 菖蒲池古墳(奈良県橿原市菖蒲町4丁目42)
・菖蒲池古墳 蘇我蝦夷、入鹿 方墳 82×67m 横穴式石室
・五条野宮ヶ原1,2号墳 方墳 横穴式石室
・植山古墳 推古天皇 方墳 40×27m 横穴式石室二基
・小山田古墳 蘇我蝦夷 方墳 72×80m 横穴式石室
※階段状ピラミッド構造
⑥ 石舞台古墳周辺(奈良県高市郡明日香村島庄)
・石舞台古墳 蘇我馬子 方墳 80×80m 横穴式石室
現在まで蘇我馬子の墓とする説が多く、最有力候補とも言える。日本書紀に出てくる「桃原陵」の場所とも一致しており、蘇我氏の邸宅のあった甘樫の丘や飛鳥の都に近い。
石室の大きさは天皇陵をも上回るほどで、当時絶対的な権力をふるっていた馬子の墓としてはふさわしい。が、斉木雲州氏はこの古墳を「用明天皇の改葬前の陵墓」としており、倍土が取り除かれているのは改葬されたためだとしている。
私の個人的な考えでは、蘇我馬子は家臣としての分別をわきまえた人物であり、主君の墓よりも大きな墓を作らせるような真似はしなかったと思われる。たとえば推古天皇に葛城の地を所望し、断られると文句も言わずに引き下がっている行為などから、俗に思われているような専制者ではないことがわかる。
・都塚古墳 蘇我稲目 方墳 41×42m 横穴式石室
六段階のピラミッド構造である。この構造は極めて重要であり、この古墳が蘇我稲目の墓なら、蘇我氏のルーツは海外にあり、はるか遠くの国から旅して日本にたどり着いた氏族だということになる。なぜなら、階段型ピラミッドという建築形式の起こりは非常に古く、古代メソポタミアやシュメール文明にその起源を見出すことができるからだ。エジプトでも最古のピラミッドは階段型で、今から5700年も前に建造されている。
しかも、この建築様式は秦の始皇帝陵や高句麗や百済の「積石塚」として、はっきりと伝来の跡を辿ることができる。したがってこの都塚古墳と小山田古墳は蘇我氏のルーツとして極めて重要。坂靖氏によると、都塚古墳は稲目、小山田古墳は蝦夷の墓である。
参考:
① 高松塚古墳 天武天皇の皇子 二段円墳 23m 横口式石槨
② 仁徳天皇陵 仁徳天皇 前方後円墳 846×654m
③ 太田茶臼山古墳 継体天皇 前方後円墳 226×147m
④ 藤ノ木古墳 聖徳太子 円墳 40m 横穴式石室
継体天皇以降、前方後円墳が見られなくなることから、継体帝の時、王朝の血統が交代している可能性が考えられる。そして円墳、方墳、横穴式石室が増えて行くが、これは大陸にも多い墓制であることから、これらの古墳は渡来系の氏族の墓と考えられる。
そうした観点から見て行くと、蘇我氏の墓は断定できなくても、候補にあるいずれの古墳が蘇我氏の墓であっても、その墓制は大陸由来のものであり、蘇我氏のルーツが大陸にあることが裏付けられる。 (写真は都塚古墳)
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