
天孫族と鉱山の関係
さて、ここで記紀に伝わる皇室系図を確認してみましょう。
記紀には天孫ニニギ以前の系図は示されておりません。
65ページの系図は私の推定ですが、その中で記紀に記された部分だけ取り出すと、
①天孫ニニギ⇒②ホホデミ⇒③ウガヤフキアエズ⇒④神武天皇
となります。
天孫族が日本に渡来した目的は鉱山の開発にある、と申しました。
その理由をご説明します。66ページの表を御覧ください。
まず、ニニギが渡来してきて九州をくまなく歩きまわった後、王宮を建てて落ち着いた場所が宮崎県の高千穂です。
その子のホホデミの頃までは高千穂に住んでいたらしいのですが、三代目ウガヤフキアエズの時、現在の大分市にあったウガヤフキアエズ王朝の嫡男と結婚し、その名もウガヤフキアエズと名乗り、大分に移り住んだようです。
また、55ページの表「天孫族と鉱山 関係図」をご覧ください。
この高千穂―大分を結ぶラインに「尾平鉱山」があることにご注目ください。
この鉱山は現在でも採掘が行われているほど埋蔵量の多い鉱山で、埋蔵されている鉱物資源の種類も多く、その上「ヒヒイロカネ」という、ダイヤモンドよりも硬い謎の鉱石が産出されていたという記述が「ウエツフミ」にあります。
つまり、尾平鉱山は当時、世界でも極めて希少で価値の高い鉱山だったと思われるのです。
なぜ天孫族はウガヤフキアエズ王朝と縁組を結んだか?・・・それは、尾平鉱山の利権を確保し、外敵から守るため、と考えれば納得が行きます。
そして三代目のウガヤフキアエズの廟がどこにあるかというと、熊本県山鹿市。
そこは現在の日田市にある鯛尾金山の道をまっすぐ下ってきた出口にあたるところで、まるで鯛尾金山を守るかのような位置に建てられています。鯛尾金山の歴史は比較的新しいのですが、この場所は古代でも同じ地層を有していたであろうことから、天孫族が金山を開拓していた可能性があります。
さらに、そのウガヤフキアエズ廟(吾平陵)と高千穂を結ぶライン上に「祇園山」という山がありますが、この山は5億年前の地層からできていると言われ、九州最古の山でもあります。
ちなみに「祇園」はヘブライ語の「シオン」であり、故郷という意味があります。
天孫族がヘブライ10支族の血を引く民族であったなら、大切なこの山に故郷の名前を付けた意味が分かります。
そのすぐ西側が幣立神宮。宇佐公康氏著の「古伝による古代史」によれば神武天皇東征の出発点です。この神武東征の出発点は、記紀においては延岡市の美々津の浜となっていますが、そこにニニギ陵墓参考地となっている可愛山陵があるのです。
まるで、鉱山から採掘された鉱石を積んだ船が港から海に出て行くのを見守るかのような位置に、ニニギの陵墓は建っているのです。
ただ、ニニギやウガヤフキアエズの陵墓参考地は他にもあり、この図の土地に本当に彼らが眠っているかどうかはわかりません。
そして、地図上の鳥居のマークをご覧ください。
この鳥居は、大分県にあるウガヤフキアエズの長男である五瀬命(イツセノミコト)を祀る神社のうち、主だったものを示したものです。
五瀬命を祀る神社は宮崎から大分、福岡県地方に広く分布しているのですが、これらの神社は五瀬命が鉱山を探して歩いた跡に建てられているようなのです。
西をウガヤフキアエズの霊に、東をニニギの霊に守ってもらった五瀬命は、新たな鉱山を探すべく、現在の大分市から由布市を経由して、久住・九重山系に入ったようなのです。そして、白丹鉱山や硫黄山を発見しました。それらの場所にはやはり五瀬命を祀る神社があります。
記紀における神武東征譚はすべて真実かというとそれは怪しく、私は何人かの人物の物語をつなぎ合わせて一人の人物の物語としているように思えます。
しかし、神武東征が真実ではなかったとしても、「五瀬東征」は真実の出来事だったのではないか、と私は考えています。
本来なら初代天皇となるべきはこの五瀬命であったものが、東征の戦いで不運にも戦死してしまったため、弟の神武が遺志を継いで東征を果たし、日本という国を建国した。
記紀にはそう書かれていますが、そのくらい五瀬命は日本の古代史上の重要人物でした。
次項ではこの五瀬命の足跡をもう少し細かく調べてみたいと思います。
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