真説仏教伝来⑩ 世界の宗教はヨガから起こった。(佐藤達矢稿)

佐藤達矢稿

真説仏教伝来⑩ 世界の宗教はヨガから起こった。

 三国遺事・駕洛国記によりますと、金官伽耶国の初代王・金首露王の子供たちは七仏寺で修行を積み、やがて悟りを得て天上に上って行ったと書かれています。

 三国遺事が書かれたのは金官伽耶国の時代よりおよそ千年も後のことですので、こうした記述を鵜呑みにはできません。が、仮にこれを事実として見た場合、修行から悟りに至るプロセスは「ヨガ」のものであると言えます。
 また、お釈迦様が瞑想修行の末に悟りに達したというプロセスもまた、ヨガの修行法によるものです。
 そして、イエス・キリスト様もまた、若いころにインドでヨガの修行を積んでいたという説があります。イエス様は13歳から29歳までの行跡がわかっておらず、この時期にインドまで行ってヨガの修行に励んでいたという説があるのです。
 
 さらに、イスラム教の創始者・モハメット様もまた、ヨガの瞑想からアラーの神の啓示を受けています。つまり世界三大宗教はすべて、ヨガの瞑想から生まれているのです。

 日本ではヨガという言葉が少々間違って認識されている傾向がありますので、ここでヨガとは何なのかということを改めて整理しておきますと、ヨガとは、一言で言いますと、「神と繋がる方法」と言うべきものであると私は考えます。

 日本ではヨガと言いますと、ポーズをとって健康になるエクササイズのことだと考えられていることが多いのですが、それはハタ・ヨガと呼ばれる、数あるヨガの技法の中でも、本格的なヨガに入る前の準備運動のようなものです。

 ヨガの神髄は瞑想により神と繋がる「メディテーション・ヨガ」にあり、次いで呼吸法による「プラーナーヤム・ヨガ」がヨガの根幹部分です。

 ヨガの瞑想修行を行う僧の姿はBC2500年頃のモヘンジョ・ダロの遺跡からも発掘されており、少なくともその頃からヨガは存在したと考えられます。

 ヨガの修行を長く続けて行くとどうなるかと言いますと、最高レベルに達したヨギ(ヨガの行者)はマハーサマディという大技を自らにかけ、自らの肉体とアートマン(魂)を分離させることに成功します。これを行ったヨギは不死となり、肉体に縛られずに自由に空間を移動できるようになるそうです。

 ちなみに日本ではマハーサマディは「即身成仏」と訳されているようですが、密教の僧が行う修行とはかなり違います。密教では修行を積んだ僧が今生最後の修行として死を前提に行うものですが、ヨガの場合はそのレベルに達したヨギに神様からお迎えの合図が来るようです。これを行ったヨギは死ぬのではなく、死を超越した存在になります。

 ・・・話をお釈迦様に戻しますと、お釈迦様が修行の道に入ってから取り組んでおられたのが、この「メディテーション・ヨガ」でした。
 お釈迦様はこれに断食等の苦行を加え、非常に過酷な修行をなされたようです。しかし、苦行では悟りに達することができず、あきらめて少女から差し出された乳粥を一口飲んだ瞬間、悟りに達されたということです。

 この時、ヨガ的に言えば、お釈迦様は修行レベルが一気に数段階上がり、俗欲を超越したヨギとしての自己を確立されたのでしょう。多くのヨギの場合はその後も修行を続けますが、お釈迦様は個人の修行よりも衆生を教え導く道を選ばれました。

 イエス様もマホメット様もおそらくは同じメディテーション・ヨガの実践中に神様と繋がり、一気に悟りの領域まで自己を高めたことでしょう。そして、彼らもまた、お釈迦様と同じく衆生を救済する道を選ばれたのです。

 ところで、ヨガの修行を中断して民衆を教え導くことになったお釈迦様ですが、その教えの中には旧約聖書の教義と、中国の諸子百家の思想の影響が見られます。
 たとえば、「十善戒」というお釈迦様の教えは、旧約聖書の「モーゼの十戒」「ノアの十戒」の形式を踏襲しています。内容もまた非常によく似ており、お釈迦様が旧約聖書の教義を参照して自らの教えの型紙にしたであろうことが推察されます。

 また、お釈迦様が十善戒の中で「不悪口(人の悪口を言ってはいけない)」「不両舌(人によって都合よく言葉を使い分けることがあってはならない)」など、なんと5項目にもわたって、ことさら口から出る言葉に関して執拗なまでに細かな訓示をされておられるところは、論語の「巧言令色は少ないかな仁」という言葉を思い出します。諸子百家が輩出した中国西部とお釈迦様のおられた北インドは地理的にも近く、年代的にも孔子はお釈迦様よりわずかに前の人ですが、生存年代が重なっていた可能性もあり、孔子の教えがお釈迦様の耳にも届いていた可能性は少なからずあると思われます。
 
 また、イエス様はインドからのヨガ修行から戻られた後、20項目にわたる「山上の垂訓」を教示されています。イエス様の教えはかなりオリジナル性の高いものですが、お釈迦様と共通するのは、「メディテーション・ヨガの修行の末に神様と繋がり、神様と交信しながら衆生を導く言葉を考えていた」というところです。このお二人とマホメット様は修行から悟り、そして民衆の救済に向かうプロセスがまったく同じなのです。

 ・・・彼らの教えはシルクロードを通して伝わりました。この道は交易品だけではなく、聖者の教えも運んでいたわけです。我が国の古事記・日本書紀には旧約聖書から借りた逸話が多く、また、日本の神道はお釈迦様の教えを色濃く反映しています(このことは後日、改めて詳述します)。

 さて、ここで話を再び金官伽耶国に戻します。
金官伽耶国初代王である金首露王が降臨したのは「亀旨峰(グジボル)」という山の山頂だったと言われています。この亀旨峰のルーツは中央アジアの「亀茲(クジ)国」であると思われ、この国はシルクロード上の重要な中継地でした。
 金首露王の降臨した山の名を「亀旨峰」としてあるのは、首露王のルーツが亀茲国にあることを暗示しているものだと私は考えています。

 つまり、金官伽耶国の皇后であった許黄玉とその兄・長遊禅師のみではなく、首露王の家系もまた仏教徒であったことが考えられるのです。
 次回に詳述しますが、首露王の母の名前は「正見母主」と言います。「正見」とは仏教用語で、お釈迦様の教えの中でも常に筆頭に出てくる、「物事をありのままに正しく見てとらえよ」という教えのことで、この名前そのものが仏教徒であることを表しています。

 金首露と許黄色玉の結婚は、中央アジアから中国北方を経由して朝鮮半島に来た首露王の一族と、サータバーファナ王国から中国四川省を経て半島に来た許黄玉一族の、仏教徒同士の縁による縁組だった可能性が高いのです。

(写真はマハーサマディを達成したヨギの一人、マハーアバター・ババジ)。

コメント

タイトルとURLをコピーしました