物部氏とスサノオの関係(佐藤達矢 稿)

佐藤達矢稿

スサノオの足跡⑥ 物部氏とスサノオの関係
スサノオが大陸から日本にやってくるずっと以前から、スサノオと行動を共にしていたのではないかと思われる氏族に物部氏がいます。
どうやら物部氏は常にスサノオとともに行動をしていて、ともに日本に渡来してきたような形跡があります。もしかしたら記紀に描かれるスサノオの物語は物部氏の物語なのかもしれません。
スサノオと物部氏が深い関係を持つと思われる根拠は、石上神宮の神宝にあります。
物部氏は蘇我氏との抗争に敗れた後、石上氏と名前を変え、石上神宮の神官として命脈を保って行くのですが、その石上神宮のご神宝の中でも重要なのが三振りの神剣です。
①布都御魂剣・・・石上神宮の主祭神である布都御魂大神が宿る剣。
②布留御魂剣・・・布留御魂大神が宿る剣。
③布都斯魂剣・・・スサノオが八岐大蛇を退治した時に入手した剣。
この三種の剣が非常に重要なのは、この後スサノオと物部氏のルーツを探求して行くとき、これらの剣が手掛かりになってくるからです。
まず、「布都御魂剣」から見て行きましょう。この剣は記紀における神武東征譚の中で、敵に囲まれて絶体絶命の窮地に陥って人事不省となった神武天皇を蘇生させる剣として登場します。
このエピソードは、マンガでもここまで劇的な大逆転勝利はなかなかありえない、と思わせるほどのもので、それゆえ私は真実であったかどうかは極めて怪しい、と考えております。
おそらくこのエピソードは「布都御魂」という剣がいかに素晴らしい剣であり、どれほど大切に扱わなくてはならないものであるかということを世間に周知させるために創作された物語であり、剣の権威付けを目的とした物部氏の思惑が作用していると思われるのです。
また、「布都(フツ)」という言葉には、経津主(フツヌシ)という神様の名前が入っています。
経津主は武御雷神とともに日本を平定したという伝説のある神様で、武御雷と同体であるとも言われます。また、武御雷神の持っていた剣が布都御魂であったとも言われ、記紀においては、苦戦している神武天皇軍を援助するよう依頼された武御雷命が「私が行かずともこの剣があれば勝利できるでしょう」と言って布都御魂を神武天皇に贈った、というエピソードが書かれています。
ここにおいてもこの剣がどれほどの効力を持ち、戦況を一変させるほどの霊験をそなえた神剣であるかということが、くどいほど強調されています。
こうしてみると、記紀の神武東征譚は布都御魂という剣のありがたさを書き残すことを第一の目的として書かれたと言っても過言ではなく、この布都御魂剣のルーツを探求することによって、アマテラスやスサノオのルーツも明らかになってゆくのです。
次に②の「布留御魂剣」についてですが、フツ、フルという音韻の連続に、なにかしら兄弟のようなニュアンスが感じられます。
そして、「布留(フル)」とは、百済国の建国者・佛流(フル、あるいはプリュ)のことである可能性があります。(百済の建国者は佛流という説と、その弟の温祚という説の二通りがあるが、この二人はいずれも扶余国王・朱蒙の息子である)。
剣というものには、その持ち主だった武人の魂が宿ると言われます。つまり、布都御魂剣と布留御魂剣はそれぞれフツ、フルという二人の武人を祀った剣であると解釈でき、布都御魂が経津主(あるいは武御雷命)の神霊が宿る剣であり、布留御魂が佛流の神霊が宿る剣であるとも考えられるのです。
そして、布留御魂が百済の建国者・佛流の剣であった場合、物部氏は百済の至宝を石上神宮に奉斎している、ということになります。
さて、そして③の布都斯御魂剣です。
この剣にはいろいろな異名がついていて由縁も複雑なのですが、その異名の中に「天羽々斬」という名前があり、スサノオが八岐大蛇を退治した時に入手した剣とされています。
この剣を物部氏が奉斎しているということは、物部氏はスサノオと同族、あるいは同じ国家の仲間だったということになります。
同時に、天孫族である武御雷命の剣「布都御魂」をも奉斎しているということは、物部氏は天孫族ともかなり近い、緊密な関係があったということでもあります。
また、記紀によりますと、イザナギの持っていた剣の名前は「天之尾羽張」と言い、なにやらスサノオの剣「天羽々斬」と似た意味を感じさせます。「羽々」とは大蛇を意味する言葉らしく、八岐大蛇退治にはふさわしい名前なのですが、一方で蛇は天孫族の紋章でもあり、この名前にはスサノオ族と天孫族が相争った過去があることが暗示されているのではないか?とも思えます。
そして、②の「布留御魂」がほんとうに「佛流の御魂」であったとしたら、スサノオ族や物部氏は建国時の百済にルーツを持つことになります。そして、佛流の父である朱蒙は扶余王であると同時に高句麗の建国者でした。
以上のことからスサノオ・物部氏の足跡をたどって行きますと、スサノオが出雲に渡来する前に住んでいたソシモリという場所は伊西国。その前は百済。そしてその前は高句麗、扶余国、ということになります。
物部氏がスサノオとともに伊西国にいたということについて補足しますと、「石上神宮」は「伊西の神神宮」とも読み替えられ、これは「伊西国の神を祀る神宮」であるとも考えられるからです。この神宮にある三振りの神剣は、そのまま天孫族、スサノオ族、物部氏の祖先神の魂を祀ってあると言っても良いと思われます。
物部氏は後年、蘇我氏との抗争などによって弱体化し、最終的には「石上氏」と姓を変え、石上神宮の神職として命脈を保ちました。
しかし、それまでは日本を代表する大豪族であり、武士の起こりは物部氏の軍事基地を守る「もののふ」という職名から来ているという説もあるほど、その後の歴史に大きな影響を与えています。
・・・そして、さらにその前もあるのです。
彼らが扶余国にたどり着く前に居住していた場所は、現在の中国の南西部、江西省。
なぜここが彼らのルーツであるかということは、次回説明いたします。
(写真は石上神宮宝物庫)

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