スサノオの足跡⑮ 伊勢神宮に祀られている神様とは?・・・。(佐藤達矢 稿)

佐藤達矢稿

スサノオの足跡⑮ 伊勢神宮に祀られている神様とは?・・・。

これまで見てきたように、スサノオ族は朝鮮半島の新羅から「伊西(イセ)国の神」を奉戴して渡来してきたようです。この神様は最初、京都府宮津市の籠神社の元宮とされる「真名井神社」に鎮座されたようですが、その後、「元伊勢」と呼ばれる場所を転々とし、福知山から京都、滋賀、奈良地方を転々とした後、最後に伊勢の地に鎮座され、「伊勢神宮」となったようです。

伊勢神宮は現在、日本最高の格式を持つ神社とされ、最も有名な神社とも言えるかと思われますが、そこに祀られている神様と、なぜ、どのように祀られているかということについては様々な説があり、はっきりと確定しておりません。
そして、その「様々な説」というのが非常に興味深いのです。

伊勢神宮のご神体の鏡の裏側にヘブライ文字が書かれてあるとか、参道の石灯籠にダビデの星が彫られているとか、という説を読んだことのある方も多いことでしょう。これらはトンデモ説のように思われがちですが、よくよく検証してみると、やはり「火のないところに煙は立たず」ではないかと思われてくるのです。

伊勢神宮の御祭神は天照大御神ですが、これは内宮に祀られている神様であり、外宮には「豊受大神」という神様が祀られています。この「豊受大神」とはどういう神様かというと、どうやら「月読命」と同体の、月の神様を祀ってあるものらしく、つまり、伊勢神宮とは、スサノオ族の手によって、アマテラス族(天孫族)と月読族が祀られた場所、ということになります。

天照大御神と豊受大神は籠神社や真名井神社という、両者が渡来した場所ですでに合祀されているため、天孫族と月読族の婚姻による同化は朝鮮半島時代にすでに行われていたと思われ、スサノオはそれを日本に持ってきて、日本の最高神として祀るにふさわしい場所を求めて転々とし、最後に伊勢の地にたどり着いたと思われるのです。

なぜ伊勢の地が選ばれたのかと言いますと、この地が朝日を拝むには最適の場所で、日の出を遮るものがなかったため、太陽信仰を行う民族、すなわち天孫族にとっては最高の場所だったから、だと思われます。

日本列島という場所には古代より実に様々な民族が渡来してきておりますが、その中でも太陽を信仰する民族は、朝日の昇る方角を聖地と認識し、はるか西方より東へ東へと旅してきて、最後に日本列島にたどり着いたと思われるのです。彼らの出発点が北イスラエル王国にあってもペルシャにあっても、それは結構真実味のある仮設であり、事実、至る所に状況証拠が見出せます。

たとえば、スサノオ族が一時居住していたと思われる新羅国は「新しきラーの国」という字義であると解釈できます。ラーはエジプトの太陽神。新羅人はエジプトに住んでいた民族の末裔だったのかもしれません。

また、この新羅国の王城の地は「鶏林」という場所でした。鶏は早朝に鳴く習性があることから朝日を呼ぶ聖なる鳥とされ、太陽信仰族は大切にしたようです。
また、新羅の王宮の名前は「月城」と言いました。新羅人は太陽とともに月もまた神聖なものとして崇めていたのです。この国には最古の天文台と言われる遺跡も残っていて、「太陽と月」を崇める民族が居住していたことがわかります。

記紀においては太陽、すなわち天照大御神をはじめとする天孫族については最大限の丁寧さを極めて描かれていますが、月読族についてはほとんど触れられていません。
しかし、古代日本において、月を信仰する月読族は天孫族よりも古くから日本に渡来しており、宇佐神宮を中心とする豊前・豊後地方を拠点として活躍していたようです。

記紀に登場する人名としては、豊玉姫、ウガヤフキアエズノミコト、ウサツヒコ、ウサツヒメ、オオゲツヒメなどが月読族に該当すると思われます。記紀ではこれらの人々は天孫族と婚姻し、やがて月の民族と太陽の民族は同化して一つの民族となって行きます。
では、いったいだれが、アマテラスとツクヨミを合祀して伊勢神宮に祀ったのかと言いますと、それはスサノオ族以外には考えられません。

スサノオ族もまた天孫族と婚姻し、宗像三女神などを生んで同化して行くのですが、こうしてすべての民族の同化が進んでも、伊勢神宮にスサノオが祀られていないということは、神功を建立したのがスサノオ族であったからだと思えるのです。

伊勢神宮には不思議な伝説がたくさんありますが、その中に、「アマテラスは祀られているのではなく封印されている」という説があります。

その根拠として、本殿が二十年ごとという比較的短い時間で建て直される慣習があることを挙げ、二十年で結界の封印が切れるので建て直す必要があると説明されているほか、本殿が「禁足地」となっているが、これは「人が入ってはいけない場所」という意味ではなく、「神様が出られないようにした場所」という意味である、とも説明されています。
・・・しかし、どうしてアマテラスを封印する必要があったのでしょうか?・・・

ちなみに、伊勢神宮にほど近い場所に「椿大神宮」という神宮があり、こちらには猿田彦大神が祀られています。猿田彦は出雲王国時代から尊宗された古い神様ですが、記紀によりますとこの伊勢の地で「海でひらふ貝に挟まれて死んだ」ということになっており、この記述からはなにやら猿田彦が美人局のようなハニートラップにかかって亡くなったことを暗示しているようでもあります。「ひらふ」とは阿倍比羅夫や安曇比羅夫といった人名にもあるように、将軍の職掌でした。

猿田彦は天孫ニニギを熊襲王のもとに案内した、道案内の神様としても有名ですが、この地で猿田彦が亡くなったことと、天照大御神が「封印」されていること、そして月読族が不当にもその活躍を記紀が徹底的に隠滅していること・・・。そこにはなにか、記紀の作者が書き残そうとしても書けなかった史実が隠されているように思えるのです。

その「隠された真実」とは?・・・おそらく、天孫族、スサノオ族、月読族らの氏族抗争だったのではないか?と私は考えます。彼らは時に争い、時に婚姻して平和を模索しましたが、月日とともにやがて民族は同化してひとつになりました。その後の人々はすべての民族の血統を引き継いでいます。先祖同士が相争った過去というのは、なかったことにしておきたかったに違いないのです。

歴史作家の関裕二氏によりますと、歴代天皇の中で伊勢神宮を参拝したのは持統天皇と明治天皇だけ。・・・そして関氏は「持統天皇こそ伊勢神宮を創建した人物」と言っています。・・・しかしながら、天照大御神という日本の最高神を祀ってある神宮に歴代天皇がほぼだれも参拝しなかったという事実は、なにを表しているのでしょうか? それは、伊勢神宮が「その後の天皇家の祖先神を祀った神社ではなかったから」としか考えられません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました