マリタ遺跡、西遼河文化、縄文文明、五穀文化について
問題意識:仮説
昨今、われわれは事実、AIの進化や戦争の多発や貿易上の紛争など、過去70年来にない急激な地盤断層の脅威に晒されているようです。
例えば西欧にとってロシアとの対立は究極的文化存続の脅威となっています。
われわれは、この現状、現象をどう捉えて対処するかは、直近の問題として迫って来ています。
第一章 プーチンの思想的背景
わたしは、この点を、少し別な角度で捉え直せないか、と考えました。ある識者は、起源論(そもそも論)を持ち出せば、問題の85パーセントは解決するという仮説を述べております。
以前、評論家の伊藤貫氏は、例のウラジミール・プーチンの思想的背景について述べていました。少しの概略を述べますと、
伊藤貫氏が指摘する、ウラジーミル・プーチン大統領に影響を与えたロシア人哲学者は以下の3名です。
- イワン・イリイン(Ivan Ilyin, 1883–1954)
ロシアの法哲学者・宗教思想家で、反共主義者として知られます。 彼はロシアの精神的・道徳的再生を目指し、国家の強固な権威と道徳的秩序の必要性を説きました。 プーチン大統領はイリインの著作を官僚に配布し、彼の遺骨をロシアに移送するなど、その思想を重視しています。 - ニコライ・ベルジャーエフ(Nikolai Berdyaev, 1874–1948)
ロシアの宗教哲学者で、自由意志と個人の精神的成長を重視しました。 彼は共産主義を批判し、キリスト教的価値観に基づく人間の自由と創造性を主張しました。 プーチン大統領はベルジャーエフの著作にも言及し、その思想に影響を受けています。 - ウラジーミル・ソロヴィヨフ(Vladimir Solovyov, 1853–1900)
ロシアの哲学者・神学者で、キリスト教的統一と道徳的秩序を追求しました。 彼は西洋哲学とキリスト教神学を融合させ、ロシアの精神的使命を強調しました。 プーチン大統領はソロヴィヨフの思想を重視し、国家の道徳的基盤として取り入れています。
これらの哲学者の思想は、プーチン大統領の国家観や政策に深く影響を与えており、ロシアの精神的・道徳的再生を目指す彼のビジョンの基盤となっています。
第二章 マリタ遺跡(Mal’ta–Buret’ culture)とは?
バイカル湖の西方に位置し、約紀元前24,000〜15,000年頃に存在した旧石器時代後期の文化。
独特な石器・骨角器文化を持ち、彫像(ヴィーナス像)や住居遺構、墓葬、装飾品などが発見されている。
遺伝的には現代の西ユーラシア人(欧州人)と東ユーラシア人(アジア人)の両方に影響を与えたことが、DNA解析(MA-1個体)によって判明。
第三章 西遼河文化への影響の可能性
西遼河文化(紀元前7000〜5000年ごろ)は、内モンゴル〜遼寧省にかけて栄えた新石器時代の農耕文化で、紅山文化や興隆窪文化が含まれます。
マリタ文化の遺伝的・物質文化的な影響が数千年後の西遼河文化に直接影響を与えた証拠はまだ乏しいですが、以下の点から仮説の余地はあります:
根拠となり得る点:
人類移動の道筋:バイカル湖〜モンゴル高原〜遼河流域は古来より狩猟民の移動ルート。
石器様式や装飾の類似性:骨角器や動物意匠に共通性があるという指摘あり(ただし類似性は独立発生の可能性も)。
遺伝子流入:古代北ユーラシア人(ANE)が、ユーラシアの広範囲に影響を与えた形跡があり、特にモンゴル・中国北部にも影響。
第四章 縄文文化への影響の可能性
縄文早期(紀元前16000〜10000年)は、日本列島における定住生活と土器文化の初期段階。
遺伝的には、縄文人の成分には古代北ユーラシア人(ANE)の血統が混入しているとの研究(例えば津田・金子ら2021年)もあり、マリタ文化と間接的な関連が考えられる。
支持する要素:
縄文人のY染色体ハプログループC1aやD1aの分布は、バイカル以北と一部重なる。
マリタ文化に類似する石器形式や、動物文様の芸術性。
氷期の気候後退とともに、バイカル付近の狩猟民が南下した可能性があり、それが日本列島や朝鮮半島に伝播したとする仮説もある。
マリタ文化 → 西遼河文化 → 縄文文化という直接的な文化伝播の証拠はまだ明確ではない。
しかし、影響の可能性は排除できません。
○遺伝的な流れ(古代北ユーラシア人成分)
○物質文化の比較研究
○移動経路の地理的連続性 、など
シベリア、モンゴル、中国東北部、日本列島の旧石器時代遺跡からのDNA分析が進めば、この仮説の裏付けが進む可能性があります。
縄文文化「縄文人の起源」に関しては、バイカル湖付近との遺伝・文化的連続性を主張する研究が注目されています。
第五章 日本列島の五穀文化
日本列島における「五穀文化」の起源を、「阿波(あわ=徳島)」と「吉備(きび=岡山・広島東部)」を中心に論じると、非常に興味深い「在地農耕文化」と「外来農耕技術」の交差点としての性格が浮かび上がります。以下に要点をまとめて論じます。
- 五穀文化とは
日本古来の「五穀」とは文献によって多少異なりますが、主に:
米(稲)
粟(あわ)
黍(きび)
麦(むぎ)
大豆(まめ)
が基本とされます。神道や古事記、風土記などでは「粟・黍」が中心で、「稲」は後から加わった形跡も見られます。 - 阿波(粟)文化の意義
● 地名と作物の一致:
徳島県(旧阿波国)はその名の通り「粟」の産地とされる。
「粟国(あわのくに)」という呼称が、すでに古代にこの地で粟の栽培が盛んであったことを示唆。
● 考古学的背景:
徳島では縄文晩期〜弥生初期の段階で、雑穀系の炭化種子が出土しており、在来的農耕が既に成立していた。
粟は乾燥に強く、育成期間が短いため、初期農耕に最適。
● 神話との関係:
阿波は、天照大神の孫・邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原から持参した「天の御糧(あまのみかて)」=五穀の起源地ともされ、粟がその中心に位置づけられている。
或いは阿波の上一宮大粟神社のオオゲツヒメ伝承。 - 吉備(黍)文化の意義
● 地名と作物の一致:
吉備(岡山・広島東部)は、「黍」の古語「きび」に由来するともされます。
桃太郎の「黍団子」伝承も、黍文化の名残り。
まとめ: 2万4000年前、バイカル湖畔に栄えたマリタ文化。その謎めいた人々が、現代の私たちにつながる驚くべき物語を秘めているかもしれません!
最新の遺伝子研究で明らかになったのは、マリタの人々のDNAが、現代のヨーロッパ人とアジア人の両方に受け継がれているという衝撃的な事実。まるで、太古の糸が、東西ユーラシアを繋いでいるかのようです。
彼らの高度な石器技術や精巧な彫刻は、後の時代の人々に影響を与えたのでしょうか? 内モンゴルの西遼河文化や、日本の縄文文化との共通点に、歴史ミステリーが隠されている可能性も!
例えば、動物をモチーフにした装飾品や、石器の形状の類似性。もしかしたら、バイカル湖からモンゴル高原を経て、遼河流域、そして日本列島へと、人々の移動と文化交流があったのかもしれません。
氷河期の厳しい環境を生き抜いた彼らの遺伝子、そして技術。それは、現代の私たちにつながる壮大な物語のほんの一部なのかもしれません。
この仮説を裏付けるには、シベリア、モンゴル、中国東北部、そして日本列島からのさらなる発掘調査と遺伝子分析が必要です。バイカル湖畔の古代人たちが、どのように現代社会を形作ってきたのか。その謎解きが、今、始まろうとしています!
以上縷々と述べてきましたが、要するに次の2点に集約できます。
①伊藤貫氏の3思想家の背後に、そもそも、モンゴル由来の西遼河文化の残滓、或いは流れがあるのではないか。そもそも論から展開するならばその西遼河文化の元もマリタ文化にあるとすれば、過去に戻って、対立ではなく、起源に戻れはしないか、という解決への願いです。
②日本列島にホモサピエンス(ハプログループD)が到来したのが約4万年前。その後、2度に分けての列島流入があったのではないか。一度目が、一万六千年前の縄文土器(正式には無紋)の発生時。2度目が西遼河文化の流れとして、主に半島から、稲作以前に縄文時代後期に。
Yi Yin記
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