高良玉垂宮神秘書 訳文 第十四章  彦権現(大須賀あきら 稿)

大須賀あきら 稿

高良玉垂宮神秘書 訳文 第十四章  彦権現

皇代十五代神功皇后の時異類日本に渡った。

第一四二条 
彦権現 大菩薩 仁徳天皇の時 高良の山に登る道 皇宮を出 舟に乗り まず大善寺に上がり舟をあらため 古船は乗り捨て 大菩薩乗り捨てた船の瓦を取り大善寺大菩薩と改めた。高良大菩薩は新船に乗り酒見に上がり 異国討伐の九品将に任せ風浪九十九社を祝い 又船に乗り 黒崎に上がり住まわれる方を見ると舟の先に山有り 我住むべき所と云い 御旗三流れ投げさせ 旗はしばらく行き上宮の上になびいた。旗の先をやがて籏崎と名付け又異説には三流れ降るともいう 裏の固めにまかせ登ると瀬高いちかわらえ馬を控え山の景色を見ていちかわらと名付けた。その後遠くに人が見えたので異類が来たといい見先鳥を飛ばした ほどなく人は高良が云った。「人の形を 人形」と名付けた。彦権現が異国人でいる間 彦権現はかりごとを巡らす間 それゆえ国を司ることは無かった。諸国旦那はツオモツハラとする。彦権現はモツハラの敵神である第十七代仁徳天皇九月十三日幸い山に還った。

第二一二条 香原岳
香原岳 豊前国に一峰二峰あり 異国より異類攻め来れば三峯へ 高良三所大菩薩要綱合って異類退治を誓い 三峯異類征伐の時 高良山に登り異国異類の様子を見たことにより高良峯と名付けられた 彦権現図り事で高良峯を攻め尽くそうと並びの山より樋っを掛け攻めるところに高良大菩薩が現れ大水で彦嶺三百余丁を攻めた そのことにより彦権現樋を掛けた山を樋嶺と名付けた。仲哀天皇崩御 香原垂迹留まることから香原岳ともいう

解説
 まず第一条に「皇代十五代神功皇后の時異類日本に渡った。」とある

この異類とは高良の物部一族の敵を表していると考えられる。この場合「シルラ」つまり「新羅 」のことを表しており、この時代に侵攻があったと考えられる。

第一四二条 彦権現と新羅の手先で「異国人でいる間 彦権現はかりごとを巡らす間 それゆえ国を司ることは無かった。」とあるので王では無かったことがわかる。

第二一二条 香原岳は採銅所がある場所で新羅と彦権現と物部との間に攻防があり その際 香原岳は高良が物見の為使用したことから 古来高良岳と呼ばれたと記されている。

近くには物部系鏡山氏の見張り場所鏡山神社も存在する。

ここに記されている彦権現とは香原岳の祭神の一柱である天忍穂耳のことで「山に還った」とは英彦山のことであると考えられる。

英彦山縁起の方には「天忍穂耳が大己貴に山をあけ渡せ」と迫った(大国主の国譲り)話で、その後大己貴から英彦山を奪ったと考えられる
画像は①香原岳 ②英彦山神宮 ③英彦山神宮を護る大行事神社(高木神)

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