23. 時間回廊

アーカイヴの舟
  1. 時間回廊 ―アーカイヴの舟―

銀河暦101018年。
惑星ネオ・エーテル、中央行政区。

巨大な透明ドームの穹窿(きゅうりゅう)を貫いて、青白い恒星の光が静かに降り注いでいた。その光は冷たく、しかし確かな意志を持つもののように、床の結晶タイルに複雑な紋様を描いている。

先ほどまで続いていた辞書編纂委員会の会議は、惑星の歴史においても前例のない幕切れを迎えていた。

委員たちは誰一人として口を利けなかった。50年以上にわたってネオ・エーテルの言語秩序を司ってきた重鎮たちが、ただ呆然と椅子に縫い付けられたように座っていた。まるで時間そのものが凍りついてしまったかのように。

その光景を脳裏に思い浮かべながら、ドーラは声を立てて笑った。

「ジル……いえ、エフォーラム。」

彼女は肩の力を抜き、心底満足そうに首を振る。

「本当に素晴らしかったわ。あの老獪、頑迷な委員たちが、あんな顔をするところを見られるなんて。」

「もう実権は市長に移ったも同然ね。いいえ——あなたは今日から、実質的にこの惑星の主よ。」

エフォーラムは、どこか居心地が悪そうに眉をひそめた。

「ドーラさん。」

彼は静かに、しかしはっきりと言った。

「『僕ちゃん』はご勘弁ください。もうすぐネオ・エーテルの最高責任者になる人間に向かって。」

ドーラはくすりと笑った。それは、この銀河でもっとも強大な行政機構を一瞬にして掌握した女傑の笑みというよりも、いたずら好きな少女のそれだった。

「だって、私にとってはいつまでもジル僕ちゃんなんだもの。仕方ないでしょう。」

それから、ふと遠くを見つめる瞳に、柔らかな光が宿った。

「それにしても——今日は、本当に感激だったわ。」

「ラムダ・グリスの姿をホログラムで見せてもらえるなんて。」

彼女の声が、わずかに震えた。

「曾祖父のことは写真でしか知らなかったの。動く姿を見たのは……今日が初めて。あの人がどんなふうに笑うのか、どんな声で話すのか。」

しばらく沈黙が流れた。

ドームの外では星々が呼吸するように瞬いている。その光が届くまでに、どれほどの時間が費やされたのだろう。

やがてドーラは、息をひとつ吐いて本題を切り出した。

「実は、あなたに会いに来たのには、別に二つ理由があるの。」

「一つ目は——ラムダが残した手記、『星界の涯(はて)』について。」

彼女は真っ直ぐにエフォーラムの目を見た。

「そこに出てくる『第二コーデック』という言葉。あなたは……知っていたのかしら?」

室内の空気が、微かに変質した。

エフォーラムは静かに首を傾けた。その顔に、動揺の影はひとかけらも見えない。

「第二コーデック……。」

彼はゆっくりと繰り返し、それから窓の外の宇宙へと視線を向けた。

「ドーラさん。たとえそれが未来において決定的な出来事であったとしても、私にできることはただ一つです。今この場所で、今この時代の任務を誠実に果たすこと。それだけです。」

「私は、あなたのお母さんから多くを学びました。」

「そして——お父さんからも。」

彼は言葉を区切り、静かに続けた。

「三十年後。本当の危機が訪れます。」

「その時こそ、私がお母さんから受け継いだ兵法を試す時。長い時間をかけて準備してきた、すべての答えを出す時です。」

ドーラの表情が、すうっと引き締まった。

「そして——このアーカイヴの未来は、『ナックセル方式』によって守られることになります。」

「敵を欺くには、まず味方から。ラムダ・グリスも、同じ手法を使っていました。」

ドーラは息を飲んだ。

「……そこまで、ご存知だったのですね。」

彼女は言葉を探しながら、ゆっくりと言った。

「私の両親は……そこまでしてあなたを見込んでいたの。」

静寂が、二人の間に満ちた。

やがてドーラは、どこか吹っ切れたような顔で微笑んだ。

「では、二つ目のお願いを聞いてもらえるかしら。」

「あなたの二番目の娘——スーちゃんを、私の養女に迎えたいの。」

エフォーラムは、一瞬の逡巡もなく頷いた。

「喜んでお受けします。」

「実は本人も——ずっとそのつもりでおりました。」

「私たちは、あなたからのお申し出を、長い間お待ちしていたのです。」

ドーラは思わず目を瞬かせた。

「え……?」

エフォーラムは穏やかに、しかしどこか深淵を覗かせるような笑みを浮かべた。

「あなたがお持ちの、二色に輝くシリンダー。」

「その二本のうち一本を、娘に託すおつもりなのでしょう。」

ドーラは言葉を失った。

思わず、自分のコートの内側に手を当てる。硬質な感触。確かにそこにある、二色に輝くシリンダーの存在。

「……そこまで見抜いていたなんて。」

二色に輝くシリンダー。

それは単なる遺物ではなかった。

それは——記憶だった。選ばれた者だけが受け継ぐことを許される、遠い過去から遠い未来へと連なる使命の記憶。

ドームの向こうでは、無数の星々が音もなく瞬いている。

誰もがいつか自分の役割を終え、やがて時間の流れに溶けていく。

だが、意思だけは消えない。

名を継ぐ者。
記憶を継ぐ者。
そして——未来を託される者たち。

壮大な時の流れの中で、二人はその夜、また一つの鎖の環を繋ぎ合わせた。

続く。

『時間回廊 アーカイヴの舟』第23話

日本語 英語表記

ラムダ・グリス Lambda Griss
ドーラ Dora
エフォーラム Eforum
ネオ・エーテル Neo-Aether
アーカイヴ Archive
ナックセル方式 Naxel Method
星界の涯 The Edge of the Stellar Realm
第二コーデック The Second Codex
銀河暦 Galactic Calendar

  1. The Time Corridor — Archive Ark —

“Those who inherit names. Those who inherit memories. Those who are entrusted with the future.”

Galactic Calendar Year 10,118
Planet Neo-Aether, Central Administrative District.

” Neo-Aether, after all.”

Dora chuckled softly.

“Perhaps. But to me, you’ll always be my little Jil.”

Her expression then softened.

“Still, today was truly moving for me.”

“Being able to see Lambda Griss through a hologram…”

She gazed into the distance.

“I had only ever seen my great-grandfather in photographs.”

A brief silence settled between them.

Then Dora spoke again.

“The truth is, I came to see you for two reasons.”

“The first concerns something Lambda once mentioned: The Edge of the Stellar Realm.”

“It refers to something called the ‘Second Codex.’ Were you already aware of it?”

Eforum tilted his head slightly.

“The Second Codex…”

Yet his expression remained calm.

“Dora, even if it turns out to be an important event in humanity’s future, my duty remains unchanged.”

He looked out toward the stars beyond the dome.

“I learned many things from your mother.”

“And I also learned much from your father.”

“In thirty years, a true crisis will arrive.”

“That will be the moment to put into practice the art of strategy your mother taught me.”

Dora’s expression grew serious.

Eforum continued.

“And the future of this Archive will ultimately be protected by the Nackcell Method.”

“As the old saying goes: if you wish to deceive your enemy, first deceive your allies.”

“Lambda Gris employed the very same tactic.”

Dora widened her eyes in surprise.

“…So you knew that much already.”

“My parents truly placed that much faith in you.”

She exhaled quietly before bringing up her second request.

“And then there is my second reason for coming.”

“I would like to adopt your second daughter, little Sue, as my own daughter.”

Eforum nodded without hesitation.

“It would be our pleasure.”

“In fact, she has been expecting this herself.”

“We have been waiting for you to make the offer.”

Dora blinked in astonishment.

“What?”

A gentle smile appeared on Eforum’s face.

“The cylinder that shines in two colors.”

“You intend to entrust one of the two to my daughter, don’t you?”

Dora was left speechless.

“…You saw through even that.”

The two-colored cylinder was not merely an ancient artifact.

It was a symbol of memories and responsibilities to be passed on into the distant future.

Beyond the dome, countless stars quietly shimmered.

Everyone would eventually fulfill their role and disappear.

Yet their will would endure.

Those who inherit names.

Those who inherit memories.

And those who are entrusted with the future.

Within the immense flow of time, they too were becoming a part of that eternal chain.

To be continued . . .

— From The Mausoleum of Time

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“Those who inherit names. Those who inherit memories. Those who are entrusted with the future.”

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